東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第一部 ソレント・アマルフィ編

A24. 中世イタリアの海洋国家とアマルフィのフラヴィオ・ジョイア

アマルフィ遠望

月の修道院(ロナ・コンヴェント)ホテルアマルフィの塔の中にあるレストランでシーフードやトマトのスパゲティを堪能したんだけど、そのアマルフィの塔で楽しめるものがもう一つある。

イタリア南部アマルフィにある月の修道院ホテルのアマルフィの塔から眺めたアマルフィの街

それが上の画像にあるアマルフィの街の眺め。なかなかの風景でしょ。でも、ここから眺めるだけじゃもったいないよね。冷えた白ワインを飲んでノドを潤おし、スパゲティを食べてお腹も満足。そろそろ憧れのアマルフィの街を歩くとしますか。

アマルフィの街に向かう海岸通

レストランを出て、海岸通を歩き、アマルフィの街に向かう。陽射しは強いけれども、地中海を渡ってきた海風が心地良い。フランス南部コート・ダジュールの街ニース海岸通(プロムナード・デ・ザングレ)も良かったけど、このアマルフィの海岸通の散歩もいいね。

イタリア南部アマルフィの海辺の月の修道院ホテルとアマルフィの塔

その海岸通で振り返れば、上の画像の眺めだ。中央やや右にアマルフィの塔。その左手の崖の上に月の修道院(ルナ・コンヴェント)ホテルの建物だ。私たちの泊まる部屋もあの建物の中にあるわけだね。

中世イタリアの海洋都市国家の旗

イタリアで海洋国家といえば、海の都ヴェネツィアが頭に浮かぶかな。でも、中世イタリアにはヴェネツィアのみならず、アマルフィ、ジェノヴァ、ピサなどの海洋都市国家が栄えていた。そんな中世イタリアの海洋都市国家の旗がアマルフィに翻っていた。それが下の画像だ。

イタリア南部アマルフィの街に翻る中世イタリアの海洋国家の旗

上の画像の一番右側、ちょいと一部が隠れているのは、言うまでもなくイタリアの国旗だね。そのすぐ左に見えるのはヴェネツィアの旗。描かれているライオンは、ヴェネツィアの守護聖人サン・マルコのシンボルだね。そのすぐ左側(左端から数えれば三番目)に見えているのは、斜塔で名高いピサの旗だね。

その次に見えている白地に赤の十字は、イングランドの聖ジョージの旗 ・・・ かな。確かにそのとおり。でも、ここではジェノヴァの旗。ジェノヴァもイングランドと同じく聖ジョージを守護聖人としているから、旗も同じになっているというわけだ。

最後に一番左端に見えるのが、中世イタリアの海洋都市国家の先駆となったアマルフィの旗。どこかで見たような八角十字の旗だね。そう、キプロスロードスマルタなどを拠点にイスラム教徒と戦いを続けた聖ヨハネ騎士団の旗と同じだ。というのも、中世のアマルフィの商人たちが聖地に設けた病院が聖ヨハネ騎士団の起源となった。というわけで、アマルフィと聖ヨハネ騎士団の旗が同じデザインとなっているみたい。

そんな歴史ある中世イタリアの海洋都市国家の旗に描かれたデザインは、今でもイタリアで使われている。イタリア海軍の艦艇やイタリアの民間の船舶の旗は、上に見たアマルフィ、ヴェネツィア、ピサ、ジェノヴァの旗に描かれたデザインを取り込んでいるんだそうな。

羅針盤の発明者とされたフラヴィオ・ジョイア

中世イタリアの海洋都市国家の先駆となったアマルフィは、やがて各国の船乗りたちが従うことになる海洋法の基礎を作り上げたらしい。更にはアマルフィ生まれのフラヴィオ・ジョイアが羅針盤を完成させ、地中海の船乗りたちに広まったとされている。13世紀から14世紀の人物とされるフラヴィオ・ジョイアの像(下の画像)は、アマルフィの海辺に立っているんだ。

イタリア南部アマルフィの街に立つ羅針盤の発明者とされるフラヴィオ・ジョイアの像

ところが、実際にはもっと昔から地中海の船乗りたちは羅針盤を使っていたらしい。更には、現在の学者たちの見解では、フラヴィオ・ジョイアなる人物は実在しなかったともされている。彼にちなんでジョイアと命名されたクレーターも月にはあるんだけどね。


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