東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第二部 パエストゥム・サレルノ編

B13. ライオンの門と鐘塔と前庭 (サレルノのドゥオモ -1.)

サレルノのドゥオモ(大聖堂)のライオンの門

今回のイタリアの旅の6日目の朝が来た。今日からナポリへ移動して、本場のピザを食べまくることになっている。が、その前にサレルノ市内を散策しておきたいよね。

というわけで、やって来たのはサレルノ旧市街のメルカンティ通り近くにあるサレルノのドゥオモ(大聖堂)。ここに最初のドゥオモ(大聖堂)が建立されたのは9世紀のことらしい。今のドゥオモ(大聖堂)の建立を始めたのは、西暦1076年にサレルノを征服したノルマン人ロベール・ギスカールだった。

その9年後の西暦1085年に今のドゥオモ(大聖堂)が聖別されている。神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世がカノッサの屈辱のリベンジローマを攻め、籠城していた教皇グレゴリウス7世がロベール・ギスカールに救い出されてサレルノに逃れたのが、その西暦1085年だった。このドゥオモ(大聖堂)を聖別したのも、教皇グレゴリウス7世だったそうな。

イタリア南部カンパーニャ地方の街サレルノのドゥオモ(大聖堂)の門の両脇のライオン

そんな歴史あるサレルノのドゥオモ(大聖堂)で私たちを迎えてくれたのは、門の左右に並ぶライオンの像(上の画像)だった。故にこの門を「ライオンの門」と呼ぶらしい。

サレルノのガイド・ブックには、このライオンの門が載っている。何故だかわからないけど、このドゥオモ(大聖堂)では必見の門みたいだね。何故に必見なのかはガイド・ブックにも説明が無いんだけど。ライオンたちもあまり強そうには見えなくて、ちょいと体格の良い犬のようにも見えるけどね。

サレルノのドゥオモ(大聖堂)の鐘塔

門を警護する二頭のライオンの像の間を抜け、ドゥオモ(大聖堂)の前庭に入る。右手からこちらを見下ろしているのが鐘塔(下の画像)だった。

イタリア南部カンパーニャ地方の街サレルノのドゥオモ(大聖堂)の鐘塔

12世紀半ばのものとされているこのアラブ・ノルマン様式の鐘塔(アマルフィ大聖堂の鐘塔と同様)の高さは、56メートルもあるそうな。でも、この歴史ある鐘塔も今では鳩の高層マンションになっているみたいで、たくさんの鳩が周囲を飛び交っていたよ。

アラブ風の前庭

アラブ・ノルマン様式の鐘塔を見上げる私が立っているのは、ドゥオモ(大聖堂)の前庭。ガイド・ブックによれば、円柱とアーチが並び噴水のあるこの前庭(下の画像)もアラブ風なんだそうな。

イタリア南部カンパーニャ地方の街サレルノのドゥオモ(大聖堂)の前庭

そういえば、スペイン南部アンダルシア地方にある世界遺産アルハンブラ宮殿の中のライオンの中庭と共通するものも感じるね。もちろん、アルハンブラ宮殿の華やかさにはかなわないんだけど。

サレルノのドゥオモ(大聖堂)の正面入口

というわけで、サレルノのドゥオモ(大聖堂)の前庭を歩き、鐘塔や円柱やアーチを眺めた。いよいよドゥオモ(大聖堂)の建物の中に入ることにしよう。

イタリア南部カンパーニャ地方の街サレルノのドゥオモ(大聖堂)の正面ファサード

上の画像がそのサレルノのドゥオモ(大聖堂)のロマネスク様式の正面ファサードなんだけど、ずいぶんとそっけないよね。正面入口のブロンズの扉は、1099年にコンスタンティノープルで作られたビザンティン様式のものなんだそうな。

正面ファサードはずいぶんとそっけないけど、ドゥオモ(大聖堂)の中にはきらびやかな装飾もある。見るべき由緒あるものもある。詳しくは次のページ以後に書くけどね。


次のページは
「B14. 大聖堂の内部 (サレルノのドゥオモ -2.)」



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