東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第二部 パエストゥム・サレルノ編

B15. 大聖堂のモザイク画 (サレルノのドゥオモ -3.)

サレルノのドゥオモ(大聖堂)の正面祭壇のモザイク画

前のページの画像にサレルノのドゥオモの正面祭壇が見えていたけど、その上に輝いているモザイク画が下の画像。大規模なモザイク画もサレルノのドゥオモ(大聖堂)の名物の一つなんだそうな。

イタリア南部カンパーニャ地方にあるサレルノのドゥオモ(大聖堂)の正面祭壇のモザイク画

ところで、上の画像のモザイク画の上段左手に描かれている人物に注目願いたい。実はこれがローマ教皇グレゴリウス7世なんだ。既に書いたけれども、このドゥオモ(大聖堂)を西暦1085年に聖別した人物。

他方でカノッサの屈辱のリベンジに燃える皇帝ハインリヒ4世によってローマに攻められ、4年間に渡ってサンタンジェロ城に籠城し、後にロベール・ギスカールによって救出されて、このサレルノにやって来た人物でもある。

聖マタイのモザイク画

とはいえ、このサレルノのドゥオモ(大聖堂)における主役はローマ教皇グレゴリウス7世ではなく、下のモザイク画に描かれている聖マタイなんだ。

イタリア南部カンパーニャ地方にあるサレルノのドゥオモ(大聖堂)で見た聖マタイのモザイク画

このサレルノのドゥオモ(大聖堂)は、その聖マタイに捧げられた聖堂なんだそうな。

聖マタイっていったい ・・・

聖マタイ ・・・ 聞いたことのある名前だよね。でも、いったいどういう人物なのか。端的に言えば、イエス・キリストの十二使徒の一人にして、新約聖書の中の「マタイによる福音書」を著した人物だとされている。

マタイは元々は古代ローマ帝国の徴税人だった。ところが、イエス・キリストに弟子入りしちゃった。やがてイエス・キリストが十字架にかけられて処刑された後も彼の教えを人々に広めようとして、結局は殉教してしまった。(エチオピアで布教中に殉教したとの説もあるけど定かではない。)

ところで、再び新約聖書の話。「マタイによる福音書」を著したのは聖マタイだとされているけれども、異論がないわけではない。でも、その材料として彼が記した文章が使われていた可能性は高いみたい。

いずれにせよ、聖マタイのお墓はこのサレルノのドゥオモ(大聖堂)の地下のクリプトにある。そんなわけで、このドゥオモは教皇グレゴリウス7世が聖別した際に聖マタイに献じられたんだそうな。

ついでながら、ローマのサン・ピエトロ大聖堂は聖ペテロ(サン・ピエトロ)の王冠とも言われている。古代ローマ帝国の皇帝ネロの迫害によって殉教した聖ペテロのお墓の上に建てられたらしい。またアマルフィの大聖堂聖アンドレアに、ヴェネツィアサン・マルコ寺院は聖マルコに捧げられているんだそうな。

大天使と聖マタイのモザイク画

さて、もう一つモザイク画。下の画像はサレルノのドゥオモ(大聖堂)の正面祭壇の横、側廊の奥にあるモザイク画なんだ。

イタリア南部カンパーニャ地方にあるサレルノのドゥオモ(大聖堂)で見た聖マタイと大天使のモザイク画

モザイク画の上段に描かれているのは大天使。6世紀末にローマサンタンジェロ城近くで姿を見せた聖ミカエルかな。その下で本を左手に持っているのは聖マタイ。左手の本は新約聖書なのかもしれないね。

ところで、イタリアのモザイク画といえば、東ゴート族の王テオドリックやビザンティン帝国ゆかりの古都ラヴェンナにあるモザイク画が有名だよね。サレルノのモザイク画は11世紀以降のものなんだけど、ラヴェンナのものは5-6世紀のものなんだそうな。ついでながら、ナポリにある国立考古学博物館には古代ポンペイの遺跡から発掘されたモザイク画もある。その中にはアレクサンダー大王を描いたものもあるね。

以上でサレルノのドゥオモ(大聖堂)のモザイク画のページは終わり。次のページでは、地下のクリプトにある聖マタイのお墓にお参りに行くかな。


次のページは
「B16. 地下のクリプトと聖マタイ (サレルノのドゥオモ -4.)」



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