東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第二部 パエストゥム・サレルノ編

B16. 地下のクリプトと聖マタイのお墓 (サレルノのドゥオモ -4.)

サレルノのドゥオモ(大聖堂)の売店の親切なおじさん

さて、サレルノのドゥオモ(大聖堂)の正面祭壇モザイク画を見たら、次は地下にあるクリプトだね。バロック式の華麗なクリプトには、聖マタイのお墓があるはずなんだ。

ところが、側廊にある地下のクリプトへの入口は閉まっている。その入口が開くのは10時みたい。仕方がない。ドゥオモ(大聖堂)の前庭に出て、時間までブラブラしていよう。

やがて10時まで数分となった。前庭に面した売店のドアが開いた。その売店で土産物でも買おう。サレルノの絵葉書を数枚とドゥオモ(大聖堂)の歴史に関する資料を選び、売店の係のおじさんにお金を払う。

ついでに「ドゥオモ(大聖堂)の地下のクリプトは10時になったら入ることが出来るんですよね。」と尋ねてみた。売店の係のおじさん、「あ、クリプトに入りたいのか。じゃ、ついでおいで。」と歩き始めた。

私たちを側廊に待たせ、おじさんは何処かへ消えていった。やがて戻ってきたおじさんの手にはジャラジャラと鍵の束。その中の一つを選び出したおじさんは、地下のクリプトへと降りて行く扉を開いてくれた。親切なおじさん、どうも有り難う。

サレルノのドゥオモ(大聖堂)の地下に華麗なバロック式のクリプト

親切なおじさんが開いてくれた扉を抜け、地下へと向かう階段を下りて行く。そこで眼にしたクリプトの様子が下の画像なんだ。華麗なバロック様式のクリプトなんだそうな。

イタリア南部カンパーニャ地方にあるサレルノのドゥオモ(大聖堂)の地下のクリプトと聖マタイのお墓

上の画像の正面奥に見えているのは、わざわざ書くまでもないかもしれないけど、聖マタイのお墓だね。このサレルノのドゥオモ(大聖堂)が捧げられた人物でもあり、ここのお宝でもある。

なぜにサレルノに聖マタイのお墓があるのか ・・・

一説によれば、聖マタイはエチオピアで布教中に殉教したとか。古代ローマ帝国皇帝ネロによるキリスト教徒迫害から、多くの人々が殉教していたんだけど、聖マタイもその一人となったんだね。でも、何故にそのお墓がサレルノのドゥオモ(大聖堂)の地下のクリプトにあるのか ・・・ 。

さっき売店で買った資料を読んで調べたんだ。その資料が英語で書かれている上に、かなりのイタリア語が混じり込んでいて、とっても苦労したよ。でも、要はこういうことみたい。

4世紀頃、聖マタイが殉教したエチオピアから、彼の遺骸がイタリアに運び込まれた。でも、西ローマ帝国の崩壊の後、イタリアは混乱していた。北からはゲルマン系西ゴート族が侵入し、南のアフリカからはイスラム教徒の襲撃があり、聖マタイの遺骸はあちこちを転々としていた。

そして西暦954年、ロンバルディア族のサレルノ公ジズルフォ1世は、各地を転々としていた聖マタイの遺骸をサレルノに運び込んだ。そのサレルノ公の子孫ジズルフォ2世の妹と結婚したのが、フレンチ・ノルマン系(つまりヴァイキングの子孫)のロベール・ギスカールだった。

西暦1076年、ロベール・ギスカールはサレルノを征服した。ローマ教皇グレゴリウス7世は、サレルノを征服したロベール・ギスカールを非難した。ところが、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世と対立した教皇は、ロベール・ギスカールと和解し、西暦1080年には彼のサレルノ征服を認めてしまった。

その同じ西暦1080年、いつの間にか忘れ去られていた聖マタイの遺骸が、サレルノ大司教アルファノ1世によって再発見された。それを聞いた教皇グレゴリウス7世は、ロベール・ギスカールに聖マタイの遺骸を安置するドゥオモ(大聖堂)の建立を勧めた。ロベール・ギスカールはその教皇の言葉に従ったわけだ。

そして西暦1085年、サレルノのドゥオモ(大聖堂)が聖別された。その年、ローマ教皇グレゴリウス7世、ロベール・ギスカール、サレルノ大司教アルファノ1世の3人が相次いでこの世を去った。彼ら全員が天国に行ったかどうか、定かではないけどね。

サレルノのドゥオモ(大聖堂)の地下のクリプトで見た聖マタイの像

そんなわけで、このサレルノのドゥオモ(大聖堂)の地下のクリプトには聖マタイのお墓がある。

イタリア南部カンパーニャ地方にあるサレルノのドゥオモ(大聖堂)の地下のクリプトの聖マタイのお墓にある像

そのお墓にお参りすれば、上の画像にある聖マタイの像を目にすることになるわけだ。


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