ヴァティカン美術館・博物館にあるコンスタンティヌスの間オスマン・トルコによる第二次ウィーン包囲で活躍したポーランド王ヤン3世ソビエスキゆかりのソビエスキの間に続いては、コンスタンティヌスの間を見て歩く。
ここで言うコンスタンティヌスというのは、古代ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス(1世)のことなんだ。この部屋の壁の絵には、皇帝コンスタンティヌスの物語が描かれている。
コンスタンティヌス軍の目の前で天空に現われた十字架西暦306年、コンスタンティヌスはスコットランドのピクト人と戦っていた父帝と共にイギリス北部の街ヨークにいた。その父帝が亡くなり、ヨークの軍団はコンスタンティヌスを皇帝として推戴したらしい。でも、皇帝位の争いは続いた。そして西暦312年、イタリア北部を制圧したコンスタンティヌスはローマに向かって軍を進めていた。
コンスタンティヌスは、同じく古代ローマ帝国の皇帝となろうとしていた宿敵マクセンティウスとの戦いを目前にしていた。そんな彼の軍の目の前で、天空に十字架が現われたらしい。コンスタンティヌスの軍勢と天空の十字架を描いた絵が上の画像なんだ。
コンスタンティヌスとミルヴィオ橋の戦い西暦312年10月28日、ローマ近くのミルヴィオ橋での戦いでコンスタンティヌスがマクセンティウスを撃ち破り、古代ローマ帝国の西の正帝としての地位を確立した。(そのミルヴィオ橋の戦いを描いた絵が、下の画像。)
ミルヴィオ橋での戦いの前に天空に十字架が現われたことから、キリスト教の加護によって勝利を得たとした皇帝コンスタンティヌスは、西暦313年にもう一人の皇帝リキニウスと共にミラノ勅令を発し、古代ローマ帝国でのキリスト教の信仰を公認したわけだ。
皇帝コンスタンティヌスによるローマ献上古代ローマ帝国の最高権力者となった皇帝コンスタンティヌスが教皇シルヴェステル1世にローマを献上する様子を描いた絵が下の画像なんだ。
中央の奥に見えるのは聖ペテロの祭壇なんだけど、16世紀初頭に今のサン・ピエトロ大聖堂の建設が始まる前の大聖堂にあったものが描かれているらしい。また、描かれているローマ教皇シルヴェステル1世の法衣は、フィレンツェの名家メディチ家出身の教皇クレメンス7世のものらしい。
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