東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D11. ラファエロ -1. ヘリオドロスの間

ヘリオドスの間で見たラファエロの絵画「ペテロの解放」

古代ローマ帝国皇帝コンスタンティヌスの物語を描いたコンスタンティヌスの間に続いては、ヘリオドロスの間と呼ばれる部屋にやってきた。ここから先は私の大好きなラファエロの絵画が多いから楽しみだね。

ローマのヴァティカンと言えば、その中心となるのはサン・ピエトロ大聖堂だろうけど、そのサン・ピエトロ大聖堂は聖ペテロの王冠とも言われている。その聖ペテロをテーマとしてラファエロが描いたのが、下の画像にある絵画「ペテロの解放」なんだ。

イタリアの首都ローマのヴァティカン美術館・博物館の中のヘリオドロスの間で見たラファエロの絵画「ペテロの解放」

鎖につながれ、兵士たちの監視の下に牢獄に閉じ込められた聖ペテロ。そのペテロのわき腹をつつきながら声をかけたのは天使だった。聖ペテロを縛り付けていた鎖は外れ、監視の兵士たちは眠り込んだ。

こうして天使によって牢獄から解放された聖ペテロは、古代ローマの人々にキリストの教えを説き、ローマ・カトリック教会の基礎を築いたとされる。でも、古代ローマ皇帝ネロによるキリスト教徒迫害によって、聖ペテロも殉教したとも伝えられているんだけどね。

ちなみに、報道によれば西暦2013年11月にはローマのヴァティカンで聖ペテロの遺骨の入った聖遺物箱が公開されたとか。その遺骨は地下墓地から発見されたらしい。といっても、それが聖ペテロの遺骨であると認めない学者も少なくないみたいだけどね。

ラファエロの絵画「ヘリオドロスの神殿からの放逐」

続いてのラファエロの絵画は「ヘリオドロスの神殿からの放逐」(下の画像)だね。言うまでもなく、このヴァティカン美術館・博物館の中のヘリオドロスの間というスペースは、この絵画にちなんで名づけられたんだろうね。

イタリアの首都ローマのヴァティカン美術館・博物館の中のヘリオドロスの間で見たラファエロの絵画「ヘリオドロスの神殿からの放逐」

ちなみに、ヘリオドロスというのは、紀元前2世紀のシリア王セレウコス4世(アレクサンダー大王の部下の子孫かな)の宰相だった。王の命により、エルサレムの神殿の財宝を求めて来たヘリオドロスは、神の騎士や兵士たちによって神殿から追い払われたとか。

でも、残念ながらこの絵画の右側部分は白い布で覆われていたんだ。修復の為かな。上の画像の右手に描かれている馬の前足の下に倒されたヘリオドロスがいるんだけど、あいにく見ることができなかった。古い芸術作品だから、こんなこともあるよね。

イタリアのフレスコ画

ところで、上に見るような絵画のことを「フレスコ画」ともいうよね。イタリア語では「フレスコ」という言葉が壁画を意味しているんだそうな。但し、言葉の本来の意味では「フレスコ」は、「新鮮な」という意味を持っているらしいから、英語の「フレッシュ」と似たような言葉なんだろうね。壁の漆喰が新鮮なうちに、つまり漆喰が乾く前に手早く描く絵、それが「フレスコ画」なんだ。

空気の乾いたイタリアでは、そんなフレスコ画が古代から発達したわけだ。但し、水の都ヴェネツィアは別。湿気の多いヴェネツィアでは、16世紀から油絵が発達したんだそうな。

ローマ教皇ユリウス2世とベルヴェデーレの中庭

西暦1503年にローマ教皇となったのがユリウス2世だった。このヘリオドロスの間や署名の間・火災の間などは、教皇ユリウス2世の居住スペースの一部だった。その居住スペースの装飾などを担当し、西暦1508年からローマのヴァティカンで制作を始めたのがラファエロだったんだ。だからここにラファエロの絵画が多く残っているというわけだね。

イタリアの首都ローマのヴァティカン美術館・博物館の中のヘリオドロスの間の窓から眺めたベルヴェデーレの中庭

そのローマ教皇ユリウス2世がここで暮らしていた16世紀前半には、この部屋の窓の下にはベルヴェデーレの中庭が広がっていた。その頃のベルヴェデーレの中庭には、いくつもの古代彫刻が並べられていたらしいよ。今では窓から外を眺めても見えるのは上の画像のような駐車場なんだけどね。

ラファエロとメディチ家出身のローマ教皇レオ10世

ヘリオドロスの間の窓から外を眺めていて気がついたんだけど、その窓の上には下の画像のような紋章が描かれていた。

イタリアの首都ローマのヴァティカン美術館・博物館の中のヘリオドロスの間の窓辺で見たローマ教皇レオ10世の名とメディチ家の紋章

紋章の横にはその名も記されているけれども、ローマ教皇レオ10世の紋章だよね。西暦1513年にユリウス2世が亡くなった後にローマ教皇となったレオ10世は、ラファエロにこの場所での絵画制作を続けさせたらしい。そんなこともあって、ここにレオ10世の紋章があるんだろうね。ちなみに、上の画像の上部に見える三重冠はローマ教皇の冠だね。

紋章の下部に見えるいくつかの赤い珠の部分は、フィレンツェのメディチ家のもの。その中にフランス王家の白百合が見えているけれども、レオ10世の先祖の通風持ちのピエロがフランス王ルイ11世から白百合の使用を許されて以来、メディチ家の紋章の中に取り込まれたんだそうな。ちなみに、メディチ家とフランス王家とは縁が深く、アンリ2世の王妃はカトリーヌ・ド・メディチアンリ4世の再婚相手はマリー・ド・メディチだったりしている。

他方でラファエロはレオ10世を生み出したメディチ家の本拠であるフィレンツェと縁が深く、メディチ家ゆかりのパラティナ美術館には私の大好きな小椅子の聖母を含むいくつものラファエロ絵画があるんだ。


次のページは
「D12. ラファエロ -2. 署名の間」



ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2002-2013 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。