東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D23. サン・ピエトロ広場とベルニーニと大聖堂

広場から眺めたサン・ピエトロ大聖堂

サンタンジェロ橋のたもとからサン・ピエトロ大聖堂を遠望し、コンチリアツィオーネ通りを歩いて、サン・ピエトロ広場までやってきた。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂と広場

その広場の入口から眺めたローマ・カトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂が上の画像なんだけど、その前の広場も広大だね。なんせ新しいローマ教皇の就任の時や新しい聖人の列聖(西暦2002年のパドレ・ピオなど)の時など、とんでもなく多くの人々が集まるから、この広場も相当な規模が必要になるわけだね。

サン・ピエトロ広場の列柱廊とバロックの巨匠ベルニーニ

もう一度上にある画像を見よう。中央にあるサン・ピエトロ大聖堂の左右に列柱廊が見えるよね。左右の列柱廊にも、この広場を設計したイタリア・バロックの巨匠ベルニーニの工夫があるんだそうな。

このサン・ピエトロ大聖堂には鐘楼が無いんだ。かつては鐘楼を建てる計画があったらしいんだけど、結局のところ計画は実現されなかった。その結果、ローマ・カトリック教会の総本山でありながら、この大聖堂の正面が貧弱なものとなってしまった。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ広場を囲むベルニーニの列柱廊と教皇宮殿

そんな大聖堂をより大きく見せるために、ベルニーニは左右に列柱廊を作り、しかも列柱廊を敢えて低くしたらしい。上の画像は右側の列柱廊なんだけど、その向こうにはローマ教皇の住む教皇宮殿が見えている。アヴィニョン捕囚の時期を除いて、ここがローマ教皇の住居なんだそうな。

サン・ピエトロ広場の工事とベルニーニ

ベルニーニは敢えて列柱廊を低く作った ・・・ と上に書いた。でも、その列柱廊の中の様子が下の画像なんだ。人間と比べれば、巨大な柱が並んでいるわけだ。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ広場を囲むベルニーニの列柱廊の内部

というわけで、このサン・ピエトロ広場の建設には11年もかかったらしい。ローマ教皇アレクサンデル7世が西暦1656年に建設を命じ、完成したのは西暦1667年のこと。

なんせ30万人を収容するという巨大な広場だからね。楕円形の広場の長径は 240メートル。列柱廊には高さ 13メートルの円柱が 240本と角柱が 44本。列柱廊の上に並ぶ聖人たちの像は 140体。そりゃ工事に時間もかかるよね。

ベルニーニ 「母のように両腕を広げて...」

サンタンジェロ橋を渡り、コンチリアツィオーネ通りを歩いてサン・ピエトロ広場に来れば、ベルニーニの列柱廊が両側から包み込んでくれる。そんなサン・ピエトロ広場と列柱廊について、設計者であるベルニーニ自身が残した言葉がある。

サン・ピエトロ広場と列柱廊に関する
設計者ベルニーニの言葉

サン・ピエトロ大聖堂は、全ての教会の母である。カトリック教徒の信仰を固める為に、異端の人々を教会に復帰させる為に、異教の人々を真の信仰に目覚めさせる為に、母のように両腕を広げて受け入れることを表現した柱廊が適している。

ベルニーニによるサン・ピエトロ広場は、人々によって絶賛されたんだそうな。でも、実はこの広場は完成してはいないらしい。ベルニーニはサン・ピエトロ広場の入口にもう一つ列柱廊を作るつもりだった。サンタンジェロ橋を渡ってやってきた巡礼たちの目に、サン・ピエトロ大聖堂がドラマティックに姿を表すことを目論んでいたんだ。

しかし、アレクサンデル7世の死後にローマ教皇に即位したインノケンティウス11世は、ベルニーニによるもう一つの列柱廊の建設計画を放棄させてしまった。その背景には、数々の建設工事による教皇庁の財政悪化があった。加えて、ペストの流行などにより、当時のローマの人口の激減もあったんだそうな。

サン・ピエトロ広場のオベリスク

そんなベルニーニのサン・ピエトロ広場を歩いて大聖堂に近づいていく。目の前に広がる眺めが下の画像だ。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂正面

上の画像に見えているオベリスクは、紀元前37年にエジプトから運ばれたもの。現在のヴァティカンにあった皇帝カリグラの戦車競技場に立てられていたらしい。そして西暦1586年、当時のローマ教皇シクストゥス5世の命により、サン・ピエトロ大聖堂の前に移された。その移動のために900人の労働者と140頭の馬が使われたんだそうな。(日本の天正遣欧少年使節のローマ訪問の翌年のことだね。)

オベリスクの上には十字架が見えるよね。その十字架の中にはイエス・キリストのゴルゴタの丘での処刑に使われた十字架の一部が聖遺物として収められているとか。


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