サン・ピエトロ大聖堂を遠望ヴァティカン美術館・博物館を数時間もかけて見て歩き、疲れ果てた。でも、サンタンジェロ城の近くのピッツェリアで本場ローマのスパゲティ・カルボナーラを食べ、ワインを飲んで元気も回復した。さて、ローマの観光を再開しよう。次の目標は、ヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂だ。じっくりと腰をすえてサン・ピエトロ大聖堂を眺める為に、わざわざ遠回りをしてサンタンジェロ橋を渡り、その橋のたもとから遠望した大聖堂が下の画像なんだ。
サン・ピエトロ大聖堂を遠望しているこのサンタンジェロ橋のたもとにはサンタンジェロ城もある。そのサンタンジェロ城は古代ローマ帝国皇帝ハドリアヌスの霊廟として築かれたものなんだけど、大天使の聖ミカエルが姿を見せたとかでサンタンジェル(聖天使)城と呼ばれているんだ。そのサンタンジェロ城については、この旅の別の機会でじっくりと見て歩くことにしよう。まずはサン・ピエトロ大聖堂だ。
コンチリアツィオーネ通りから見たサン・ピエトロ大聖堂サンタンジェロ橋から歩き始め、コンチリアツィオーネ通りに向かう。そこから眺めたサン・ピエトロ大聖堂が下の画像だ。
昔の巡礼たちもこの通りからサン・ピエトロ大聖堂の眺めを堪能したかな。西暦1585年にローマ教皇に拝謁した日本の天正遣欧少年使節も、この通りからの眺めに驚嘆したのかな。
サン・ピエトロ大聖堂からサンタンジェロ城に続く通路コンチリアツィオーネ通りをサン・ピエトロ大聖堂に向かって歩く。ふと横を見れば、興味深いものが眼に入った。ちょいと脇道に入ってみるか。
というわけで、寄り道をして眺めたものが上の画像なんだ。サン・ピエトロ大聖堂からサンタンジェロ城に続くレオニーネの城壁(ローマ教皇レオ4世によって築かれた城壁)とその中の通路。ヴァティカンが攻撃を受けた時、ローマ教皇はこの通路を経てサンタンジェロ城に逃げ込むわけだ。
ところで、何故に神聖ローマ帝国軍がローマを劫略したのか。当時のヨーロッパでは、ハプスブルク家の皇帝カール5世とフランス王フランソワ1世が激しい争いを続けていた。そんな状況下でローマ教皇クレメンス7世はフランス王の側に立ったんだ。その結果が敵対する神聖ローマ帝国軍によるローマ劫略だった。
ついでながら、ローマ教皇クレメンス7世と共にサンタンジェロ城に籠城した人々の中には、マニエリズムの彫刻家チェッリーニもいた。彼は銃を手に敵兵を防いだらしい。芸術家でありながら、勇敢な人物だよね。但し、後には教皇冠の宝石をくすねたとの疑いでサンタンジェロ城に監禁されたこともある。面白い人物だよね。
もうすぐサン・ピエトロ大聖堂脇道からコンチリアツィオーネ通りに戻り、サン・ピエトロ大聖堂に向かって歩く。次第に近づいてくる大聖堂が下の画像だ。
わざわざ遠回りをしてサンタンジェロ橋から遠望し、コンチリアツィオーネ通りからのサン・ピエトロ大聖堂の眺めを楽しみつつ歩くのも良いもんだね。さて、いよいよ到着だ。ローマ・カトリック教会の総本山だけに、ここにも見所が多いよ。覚悟して歩かなきゃね。
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