東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D36. バロックの画家カラヴァッジョの聖ペテロと聖パウロ

カラヴァッジョの絵画「聖ペテロの逆さ磔」

イタリア・バロックの巨匠とされるベルニーニの天使を見たけれども、このローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の中のチェラージ礼拝堂にはバロックの画家カラヴァッジョの絵画もある。それが下の画像にある「聖ペテロの逆さ磔」なんだ。

イタリアの首都ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会で見たバロックの画家カラヴァッジョの絵画「聖ペテロの逆さ磔」

この聖ペテロは古代ローマ帝国皇帝ネロのキリスト教徒迫害によって処刑された。その聖ペテロ(サン・ピエトロ)の墓の上に建てられたのが、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂なんだね。

イタリア・バロックの画家カラヴァッジョ

西暦1571年にミラノで生まれたカラヴァッジョがローマへやって来たのは西暦1592年と考えられている。やがてカラヴァッジョはローマで画家としての地位を確立していった。このサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の「聖ペテロの逆さ磔」を制作したのは、彼の名声が高まっていた西暦1601年のこと。

ところが、西暦1606年にカラヴァッジョは殺人事件を起こしてしまい、ナポリへ、更にはマルタ島へと逃れていった。でも、西暦1608年にはマルタ島で喧嘩の相手に大怪我をさせてしまった。牢獄に入れられたカラヴァッジョは脱獄し、マルタからシチリアへ、更にはナポリへと逃れている。

そして西暦1610年、恩赦を求めてカラヴァッジョはローマへと向かった。でも、その途中でカラヴァッジョは病死したらしい。殺人事件に対する恩赦が出る寸前のことだった。

そんなカラヴァッジョなんだけど、その後の芸術にはとっても大きな影響を残したんだそうな。イタリア・バロックの巨匠となったベルニーニに対してもそうだし、同時期にイタリアにいたルーベンスなどにも大きな影響を与えたらしいよ。

カラヴァッジョの絵画「聖パウロの改宗」

そんな破天荒な芸術家カラヴァッジョは、もう一つの絵画「聖パウロの改宗」(あるいは「ダマスカスへの途中での回心」)をこのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会に残している。「聖ペテロの逆さ磔」と同じく西暦1601年の作品とされているんだ。

イタリアの首都ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会で見たバロックの画家カラヴァッジョの絵画「聖パウロの改宗」

この作品に描かれている聖パウロも古代ローマ帝国皇帝ネロの迫害によって処刑されたとされれいる。そんな聖パウロがキリスト教に改宗した時の様子をカラヴァッジョは描いたらしい。

落馬して改宗した聖パウロの物語

聖パウロが生まれたのは、西暦10年頃のこと。現在はトルコ領となっている小アジアで、厳格なパリサイ派ユダヤ人の家に生まれた。やがて彼は、キリスト教徒に対して激しく敵対していった。

当時はサウロと呼ばれていた後の聖パウロは、キリスト教徒を迫害するために兵士たちを率いてダマスカスへと向かっていた。突然、天の光に打たれたパウロは落馬し、そこで奇跡の声を聞いた。そして、パウロはキリスト教に改宗したというわけだ。

上の画像にあるカラヴァッジョの「聖パウロの改宗」には、落馬して地面に横たわり、目を閉じて奇跡の声に耳を傾けている聖パウロの様子が描かれている。その後の聖パウロは、聖ペテロを筆頭とするキリストの使徒たちと同じく、各地でキリスト教の布教を行ったんだそうな


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