サンタンジェロ城と大天使 聖ミカエル先にも書いたけど、ローマのサンタンジェロ城は元々は古代ローマ帝国皇帝ハドリアヌスによって築かれたお墓だった。ハドリアヌス以後も3世紀初頭までは歴代の皇帝がここに葬られたらしい。そしてローマにペストが流行っていた西暦590年、今のサンタンジェロ城の近くを歩いていたローマ教皇グレゴリウス1世の前に大天使 聖ミカエルが姿を現し、ペストの流行が終わることを告げたんだそうな。以後、かつての皇帝のお墓はサンタンジェロ城(聖天使城)と呼ばれるようになった。 但し、サンタンジェロ城と呼ばれるようにローマ教皇の軍事的な要塞として使われるようになったのは、10世紀頃からのことらしい。
サンタンジェロ城の上に立つ大天使 聖ミカエルそんな話が伝えられるサンタンジェロ城の上には、今もサンタンジェロ(聖天使)が立っている。それが下の画像にある大天使 聖ミカエルなんだ。
神の軍隊を率いる大天使 聖ミカエルは、右手に剣を、左手に鞘を持っている。まさにドラゴンに襲い掛かろうとしているのかな。このサンタンジェロ城の上に立つ聖ミカエル像は、18世紀半ばに彫刻家ピーター・アントンによって制作されたものなんだそうな。
ピエトロ・ブラッチによる大天使 聖ミカエルサンタンジェロ城の中では、木彫りの彫刻の上に金メッキが施された大天使 聖ミカエル像(下の画像)もあった。
この像は18世紀前半にピエトロ・ブラッチによって制作されたものなんだそうな。ちなみに、ピエトロ・ブラッチはトレヴィの泉の中央にある「海の寓意像」を制作した人物なんだそうな。
大天使 聖ミカエルところで、このサンタンジェロ城の近くでローマ教皇グレゴリウス1世の前に姿を見せた大天使 聖ミカエルなんだけど、実はあちこちで姿を見せている。特に聖ミカエルを守護聖人とするフランスでは頻繁に登場している。例えばフランス北部の世界遺産モン・サン・ミシェルの建設が始まったのも、聖ミカエルのお告げからだった。百年戦争におけるフランスの英雄ジャンヌ・ダルクが戦いを始めたのも、聖ミカエルのお告げが契機だった。 ついでながら、かつては日本の守護聖人も聖ミカエルだったそうな。その後、日本の守護聖人はフランシスコ・ザビエルに交代したらしいけどね。
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