サンタンジェロ城の屋上テラスからローマを眺めたサンタンジェロ城の上に立つ大天使 聖ミカエルの足許には屋上テラスがある。そこに立てば、ローマを広々と見渡すことが出来るんだ。
まず上の画像は屋上テラスからサンタンジェロ城の真下にあるサンタンジェロ橋とその下を流れるティベレ川を見下ろしたところ。意外に高くて、ベルニーニの天使像のレプリカも良く見えないね。
ローマ市内、遠くにヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂サンタンジェロ橋から視線を左に移せば、ティベレ川の向こうに広がるのは下の画像の風景なんだ。
画面中央やや左に見える白い大きな建物は、統一イタリア王国成立にゆかりのヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂だね。その左にわずかに見えているのは、古代ローマ帝国時代のコロッセオ(円形闘技場)なんだけど、ちょいと遠すぎるよね。
サン・ピエトロ大聖堂とレオニーネの城壁サンタンジェロ城の屋上テラスの反対側に移動すれば、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂を眺めることが出来る。残念ながら、下の画像でわかるように今日は霞んでいるけど、ミケランジェロのクーポラ(円屋根)のシルエットはよくわかるよね。
ところで、上の画像をよく見てほしいんだけど、右下から左上に向かって城壁が伸びているよね。これがレオニーネの城壁。その中にはヴァティカンが危機に陥った時にローマ教皇がサンタンジェロ城に逃げ込む為の通路が設けられているんだそうな。
サンタンジェロ城に逃げ込んだローマ教皇そんなレオニーネの城壁を使って実際にサンタンジェロ城に逃げ込んだローマ教皇もいる。例えば、西暦1527年にはハプスブルク家の皇帝カール5世の神聖ローマ帝国軍がローマを劫略した。その際にはメディチ家出身のローマ教皇クレメンス7世はレオニーネの城壁の中の通路を経てサンタンジェロ城に逃げ込んでいる。当時の彼に助言をしていた歴史家のグイッチャルディーニの言葉に従ったことを後悔したかもしれないね。その数百年前に遡れば、叙任権闘争で名高いローマ教皇グレゴリウス7世のケースもある。西暦1077年に皇帝ハインリヒ4世を屈服(カノッサの屈辱)させたグレゴリウス7世。でも、雪辱に燃える皇帝は西暦1081年にローマを攻囲し、教皇はサンタンジェロ城に逃げ込んだ。 皇帝ハインリヒ4世は司教会議にローマ教皇グレゴリウス7世の廃位を決議させ、次の教皇クレメンス3世を即位させた。それでもサンタンジェロ城で籠城を続けたグレゴリウス7世。4年後にノルマン人ロベール・ギスカールの軍によって救出されたけれども、間もなくサレルノで亡くなっている。他方でその後もヴァティカンの混乱は続いたそうな。
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