東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D26. ミケランジェロのピエタとクーポラ(円屋根)

サン・ピエトロ大聖堂に入ってすぐの右手にミケランジェロのピエタ

ようやくサン・ピエトロ大聖堂の中に入り、すぐ右手で迎えてくれたのがミケランジェロのピエタ(哀しみの聖母像)だった。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂で見たミケランジェロのピエタ(哀しみの聖母像)

ルネサンス期のイタリアでは無数の聖母マリアが生み出されただろうけど、その美しさで頂点を競うのが、フィレンツェにあるラファエロの絵画「小椅子の聖母」とローマにあるこのミケランジェロの「ピエタ(哀しみの聖母像)」だよね。

フランスの首都パリの郊外にあるサン・ドニ修道院(今は大聖堂)の修道院長からフランスの大使となってローマに駐在していた枢機卿ジャン・ド・ヴィリエ・ド・ラ・グロレがこの彫刻を発注した西暦1498年、ミケランジェロ・ブオナロティは23歳の若者だった。

そしてミケランジェロがピエタを完成させたのは西暦1500年(あるいは西暦1499年)のこと。悲痛ではあるけれども、落ち着いて耐え忍ぶ聖母マリアの若々しい表情は、古典主義的なミケランジェロの作品ならではの静かな美しさを生み出しているとされる。

ミケランジェロのピエタを覆う防弾ガラス

でも、ミケランジェロのピエタに表現された聖母マリアの美しさは、時に人間を狂気に追い込んだということなんだろうか。西暦1736年には狂人がこの聖母マリアの左手の指4本を折ってしまった。そして西暦1972年には狂人がふりあげた鉄のハンマーでピエタが打ち壊されたんだそうな。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂で見たミケランジェロのピエタ(哀しみの聖母像)

幸いにもミケランジェロのピエタは見事に修復されている。でも、悲劇的な事件の再発を惧れ、今のミケランジェロのピエタは銃弾にも耐えるという強化ガラスに覆われているんだ。哀しみの聖母の今の悲しみは何に対するものなんだろう。

ミケランジェロの四大ピエタ像(哀しみの聖母)

ミケランジェロはその後もいくつかの「ピエタ像」を残しているんだけど、彼の四大ピエタと呼ばれるものがイタリアの各地に残されているんだ。その筆頭は上の画像にあるローマのサン・ピエトロ大聖堂のピエタなんだけど、他の三つは以下の通り。

ローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるピエタは、ミケランジェロが20歳代前半に完成させたもの。ルネサンスの理想主義にミケランジェロが最も光り輝いていた時代のものだね。他方で他のピエタには晩年に近づくミケランジェロの他の面が表れているとか。

若くして亡くなったラファエロはともかく、理想主義の輝きを保ち続けることは、あのミケランジェロにしても難しかったのか ・・・ 。ローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロのピエタは今も若々しく美しいけど。

おまけなんだけど、フィレンツェのバルジェッロ博物館に行けば、ピエタを制作する前にミケランジェロが完成させたバッカス像を見ることもできる。サン・ロレンツォ教会のメディチ家礼拝堂の新聖具室には、ミケランジェロによるウルビーノ公ロレンツォの墓標なども有るね。

ミケランジェロとサン・ピエトロ大聖堂のクーポラ(円屋根)

ピエタを完成させてから10年近く後の西暦1508年、その2年前から新しいサン・ピエトロ大聖堂の建設を始めたローマ教皇ユリウス2世からミケランジェロにお呼びがかかった。それに応じたミケランジェロは、ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂に天井画を描いたんだ。そして西暦1536年、再びヴァティカンのシスティーナ礼拝堂での制作を始めたミケランジェロ。やがて完成したのがあの「最後の審判」だった。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロのクーポラ(円屋根)を見上げた

そして西暦1546年、ミケランジェロは再びローマのヴァティカンで仕事を始めた。今度はサン・ピエトロ大聖堂のクーポラあるいは円屋根(上の画像)を完成させることだった。

ミケランジェロの死後に完成したクーポラ(円屋根)

そんなミケランジェロが亡くなったのが西暦1564年のこと。でも、その時点ではサン・ピエトロ大聖堂のクーポラ(円屋根)は完成していなかった。それが完成し、その上にランタン(頂塔)が設置されたのは、西暦1591年のことだった。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロのクーポラ(円屋根)をヴァティカン美術館・博物館の窓から眺めた

上の画像は今朝から歩き回ったヴァティカン博物館・美術館の窓から眺めたサン・ピエトロ大聖堂のクーポラ(円屋根)なんだ。その内部の直径は 42.6メートル、床からクーポラの上の十字架の先端までの高さは 136.6メートルもあるらしい。

このサン・ピエトロ大聖堂のクーポラ(円屋根)の下には、見逃せない美術品がある。それがイタリア・バロックの巨匠ベルニーニの手によるブロンズのバルダッキオ(天蓋)。その話は次のページに。


次のページは
「D27. ベルニーニのブロンズのバルダッキオ(天蓋)」



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