サン・ピエトロ大聖堂に見るミケランジェロとベルニーニサン・ピエトロ大聖堂のピエタを制作したミケランジェロのクーポラ(円屋根)のすぐ下に据えられているのは、ベルニーニの手によるバルダッキーノ(天蓋)なんだ。その二つを対比したのが、下の画像というわけだ。
古典を重視するルネサンス芸術の代表者ミケランジェロに対して、古典を出発点としながらも奔放に想像力を働かせたと言われるイタリア・バロックの巨匠ベルニーニの興味深いコントラストだよね。
イタリア・バロックの巨匠ベルニーニのバルダッキーノ(天蓋)このベルニーニによるブロンズのバルダッキーノ(天蓋)は、聖ペテロ(サン・ピエトロ)の墓の上に据えられている。言うまでもなく、聖ペテロ(皇帝ネロの迫害によって殉教したとか)はローマ・カトリック教会の基礎を築いたと信じられている人物だよね。下の画像に見えるベルニーニのバルダッキーノ(天蓋)が完成したのは、西暦1633年のことだったそうな。
上の画像でもわかるけど、このバルダッキーノ(天蓋)の特徴はねじれた柱だよね。このねじれた柱はベルニーニのアイデアと考える人もいるんだけど、実はそうでもないらしい。古代ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌスによる旧サン・ピエトロ大聖堂にあったバルダッキーノ(天蓋)にもねじれた柱が用いられていたんだそうな。
ローマ教皇ウルバヌス8世とベルニーニベルニーニのバルダッキーノ(天蓋)の土台で見たのが、下の画像にある三匹のミツバチの紋章。どこかで見たことがある紋章だよね。そう、ヴァティカン美術館・博物館を歩いた時にウルバヌス8世の礼拝堂で見たバルベリーニ家の紋章だね。
イタリアの商都フィレンツェの豪商バルベリーニ家のマッフェオ・バルベリーニが、ローマ教皇ウルバヌス8世として即位したのは西暦1623年のこと。その翌年、ウルバヌス8世は若手彫刻家ベルニーニ(当時25歳)に、バルダッキーノ(天蓋)の制作を命じたんだ。
更に余談なんだけど、ウルバヌス8世は西暦301年に建国されたサン・マリノ共和国を独立国として承認したらしい。ちなみに、サン・マリノ共和国はヨーロッパでは三番目に小さな独立国なんだそうな。最も小さい国はこのサン・ペトロ大聖堂があるヴァティカン市国。次に小さな国はモナコ公国なんだそうな。
もうひとつおまけなんだけど、地動説のガリレオに対する宗教裁判の際のローマ教皇もこのウルバヌス8世だった。その宗教裁判について教皇ヨハネ・パウロ2世がガリレオに謝罪したのは、西暦1992年のことだった。
ブロンズのバルダッキーノ(天蓋)と聖ペテロの司教座サン・ピエトロ大聖堂の中に足を踏み入れた時、奥行き 200メートル以上もある大聖堂の後陣(アプス)に据えられたカテドラ・ペトリ(聖ペテロの司教座)がベルニーニのブロンズのバルダッキーノ(天蓋)の中に見える。
ベルニーニは、ブロンズのバルダッキーノ(天蓋)がカテドラ・ペトリ(聖ペテロの司教座)の額縁の役割を果たすように配置などに工夫したらしい。そのカテドラ・ペトリ(聖ペテロの司教座)を制作したのもベルニーニなんだ。次のページでは、そのカテドラ・ペトリ(聖ペテロの司教座)をじっくりと見ることにしよう。
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