人々が素通りするローマ教皇ウルバヌス8世の礼拝堂ラファエロ工房の絵画が残る火災の間を出ると、小さなスペースがある。そこが ローマ教皇ウルバヌス8世の礼拝堂なんだそうな。![]()
でも、ヴァティカン美術館・博物館のとっても分厚いガイド・ブックにも何も書いていないし、その場に何の案内も無い。しかも、暗くてまるで廊下としか思えない。というわけで、ほぼ全ての人々はこのウルバヌス8世の礼拝堂(上の画像)は素通りするわけだ。
イタリアのバロック美術を育て上げたローマ教皇ウルバヌス8世ローマ教皇ウルバヌスと言えば、十字軍を提唱したウルバヌス2世が名高いよね。では、この礼拝堂の主だったローマ教皇ウルバヌス8世っていったいどんな人物なのか。17世紀前半のローマ教皇ウルバヌス8世は、フィレンツェの裕福な商家バルベリーニ家の出身だった。というわけで、このウルバヌス8世の礼拝堂にもバルベリーニ家の3匹のミツバチの紋章(下の画像)が残っている。 ![]()
その裕福な商家バルベリーニ家は、イタリアのバロックの芸術家たちに様々な作品を注文していた。そしてその家のお坊ちゃまのマッフェオ君がローマ教皇ウルバヌス8世になってからは、教皇庁の莫大な財産をバロック美術に注ぎ込み、おかげでイタリアのローマにバロック美術の全盛時代が開花したんだそうな。
イタリアのバロックの巨人ベルニーニとローマ教皇ウルバヌス8世そんなローマ教皇ウルバヌス8世がバロック芸術に残した最大の貢献は、バロック美術の巨人ベルニーニを重用したことだとされている。ウルバヌス8世の命により、ベルニーニはサン・ピエトロ大聖堂に残る天蓋(バルダッキオ)を制作し、スペイン階段の下のバルカッチャ(老いぼれ舟)の泉を作り、バルベリーニ広場にトリトーネの噴水を残したんだそうな。ベルニーニの才能を愛し、ローマの為に多くの作品を制作させた教皇ウルバヌス8世は、「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにある」とまで言ったという話もある。でも、そこまでバロック芸術に入れあげたローマ教皇ウルバヌス8世のおかげで、教皇庁は莫大な債務を抱えることになったらしい。しかも、教皇ウルバヌス8世はバルベリーニ家の身内ばかりを出世させたとか。 そんなこんなで、偉大なバロック芸術の多くの作品をローマに残したにもかかわらず、ローマの人々の間で教皇ウルバヌス8世の人気はとっても低かったそうな。今もヴァティカン宮殿を歩く人々は彼の礼拝堂に眼もくれずに素通りしているんだけどね。
ちなみに、この教皇ウルバヌス8世は地動説で名高いガリレオの友人だった。ガリレオの1回目の宗教裁判においては、枢機卿だったウルバヌス8世がかばってくれたらしい。でも、2回目の宗教裁判の時点で教皇となっていたウルバヌス8世は、ガリレオをかばおうとはしなかったんだそうな。
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