火災の間にあるラファエロ工房による絵画「ボルゴの火災」ラファエロがヴァティカンで制作を始めた時のローマ教皇はユリウス2世だった。西暦1513年にローマ教皇となったレオ10世もラファエロにヴァティカンでの制作を続けさせた。但し、教皇レオ10世はラファエロにある特別な注文をつけた。この火災の間はレオと名乗る過去のローマ教皇たちの奇跡をテーマとする絵画で飾る。それが教皇レオ10世の特別な注文だった。その代表的な作品が、下の画像にある絵画「ボルゴの火災」なんだそうな。西暦847年にローマのボルゴ地区で火災が発生した。でも、当時のローマ教皇レオ4世が手で十字を切ると鎮火したらしい。下の画像の右奥の建物に2階の窓で手で十字を切っているローマ教皇が見えるかな。とっても小さくて恐縮だけど。
上の画像の左の部分には老人を背負った人物とその右手の子供が描かれているよね。この三人の様子は後のバロックの巨人ベルニーニにも影響を与えたらしい。今のボルゲーゼ美術館に残るベルニーニの彫刻の一つ「アエネアス(あるいは、トロイを逃れるアエネアス、アンキセス、アスカニウス)」は、ラファエロがここで描いた三人と良く似ていると言われる。
ラファエロ工房による「カール大帝の戴冠式」と教皇レオ3世続いては、同じくラファエロの弟子たちによって仕上げられた絵画「カール大帝の戴冠式」(下の画像)だね。
中世ヨーロッパに大帝国を築き上げたフランク王国の英雄カール大帝(シャルルマーニュ)が西ローマ皇帝として戴冠を受けた西暦800年の出来事を描いている。その時のローマ教皇がレオ3世だった。暗殺未遂事件によって殺されそうになったローマ教皇レオ3世はカール大帝に保護を求めた。そしてヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂で戴冠式を行ったんだ。
絵画「オスティアの戦い」とローマ教皇レオ4世海に面していないローマの外港として発達したのがオスティアだった。そのオスティアは9世紀頃にはイスラム教徒の艦隊(あるいは海賊)によって時に襲われたんだそうな。そんなオスティア、更にはローマを守る為に城壁を築き、艦隊を組織したのが教皇レオ4世だった。
彼はナポリやアマルフィなどイタリア南部カンパーニャ地方の諸都市の艦隊を組織し、イスラム教徒の艦隊に対抗させた。そして西暦849年にカンパーニャ地方連合艦隊がオスティアにおいてイスラム教徒軍を撃ち破った。その「オスティアの戦い」の様子を描いたのが、上の画像にあるラファエロ工房の作品なんだそうな。
イタリア・ルネサンスの超エリート芸術家 ラファエロ画家ラファエロは、芸術的才能だけではなく、容貌にも恵まれていたんだそうな。加えて、極めて愛想が良く、多くの人々が魅了された。しかも、ラファエロは25歳の若さでヴァティカン宮殿での仕事を与えられ、ユリウス2世やレオ10世などのローマ教皇の寵愛を受け、巨額の収入を与えられ、豪華な屋敷に住み、多くの弟子と女性たちに囲まれていたんだ。その暮らしは、まるで大貴族のようだった。 でも、そんなイタリア・ルネサンスの超エリート芸術家も、死からは逃れられなかった。ラファエロは37歳の若さで亡くなり、ヴァティカンの中のコンスタンティヌスの間は、彼の弟子たちによって完成されることになったわけだ。(余談ながら、ラファエロのお墓はローマのパンテオンにある。)
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