東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D25. サン・ピエトロ大聖堂に入る

サン・ピエトロ大聖堂ではノー・スリーブは不可

警護のスイス衛兵を横目で見ながら、サン・ピエトロ大聖堂の入り口に向かう。そこでまたスタッフの男性に制止された。今度は何だろう。さっきは出口から入ろうとした私が悪かったけど、今度は間違えてないはずだ。

彼が言うには、家内の肌が露出し過ぎだと ・・・ 。え、今日の家内の服装は、タンク・トップとまではいかないけど、ノー・スリーブの服。うーん、これでタメなのか。ホテルに戻って着替えて来なきゃいかんのか。

そこで家内が思い出した。バッグの中に大きなスカーフがある。それで肩を覆って ・・・ 今度は大丈夫だ。無事にサン・ピエトロ大聖堂の中に入ることができる。何の役にも立たないと思っていたスカーフなんだけど、ヴァティカンで大活躍だね。(ちなみに、スカーフはエジプトやトルコなどのイスラム諸国でモスクに入る時にも役に立つよ。)

サン・ピエトロ大聖堂で見たカール大帝(シャルルマーニュ)騎馬像

今度こそサン・ピエトロ大聖堂の中へ ・・・ と歩き始めたところで、またもや一時停止。といっても、スタッフに止められたんじゃない。入り口の左手にフランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)の騎馬像(下の画像)があったんだ。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂で見たカール大帝(シャルルマーニュ)の騎馬像

古代ローマ帝国でキリスト教の信仰を公認した皇帝コンスタンティヌスと並んで、カール大帝(シャルルマーニュ)はローマ教皇あるいはローマ・カトリック教会にとって、おろそかに出来ない人物だよね。

カール大帝は教皇庁を圧迫していた中世ロンバルディア王国を撃ち破り、コンスタンティノープルを中心とするビザンティン帝国に対抗する上での後ろ盾になったわけだから。そして西暦800年12月25日、ローマ教皇レオ3世によってカール大帝の皇帝としての戴冠が行われたわけだ。

その戴冠式の様子はヴァティカン美術館・博物館の中の火災の間にラファエロ工房によって描かれた絵画「カール大帝の戴冠式」で見たね。他方で古代ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌスの物語は、同じくヴァティカン美術館・博物館の中にコンスタンティヌスの間の絵画に描かれていたね。

サン・ピエトロ大聖堂の入り口

あちこちでひっかかっていたけれども、ようやくサン・ピエトロ大聖堂の入り口(下の画像)にたどり着いた。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂の入り口

この入り口には、「五つの大扉」と呼ばれる扉が並んでいる。それぞれの扉は、「善と悪」「秘蹟」「死」などをテーマにしているらしい。扉の中には15世紀に作られたものもあれば、20世紀にスイスのカトリックの人々が贈ったものもあるらしい。

とうとうサン・ピエトロ大聖堂の中へ

そして下の画像がサン・ピエトロ大聖堂の中の様子なんだ。天井にあるミケランジェロのクーポラ(円屋根)からは日光が漏れ入り、その下にはバロックの巨匠ベルニーニによるブロンズのバルダッキーノ(天蓋)、そして後陣には同じくベルニーニによる聖ペテロの司教座。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂の内部

中世ヨーロッパの重要な巡礼路にフランチジェーナ街道があった。イングランド南部カンタベリーを出発点としてドーバー海峡を渡り、フランス・スイス・イタリアを歩いてローマまでやって来た巡礼たちは、最後にこのサン・ピエトロ大聖堂で巡礼の旅のゴールに到着するわけだね。

さて、上の画像では見えていないけれども、右手にはミケランジェロのピエタがある。まずはそのピエタ(哀しみの聖母像)から見ていこう。もちろん、このサン・ピエトロ大聖堂には見るべきものが多いからね。一つ一つ見て行くつもりなんだ。


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「D26. ミケランジェロのピエタとクーポラ(円屋根)」



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