東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D61. ローマのサンタンジェロ城の内部

歴史を偲ばせるサンタンジェロ城の壁

ローマを流れるティベレ川にかかるサンタンジェロ橋を渡り、城門でチケットを買い、サンタンジェロ城に入る。そこで見上げたサンタンジェロ城の壁が下の画像なんだ。

イタリアの首都ローマのサンタンジェロ城の壁

上の方は小奇麗に飾られているけれども、下のほうは昔の壁がむき出しになっているみたいだね。ひょっとすると、このサンタンジェロ城の壁の下部は、古代ローマ帝国皇帝ハドリアヌスの時代のものだろうか。

このサンタンジェロ城なんだけど、元々は古代ローマ帝国皇帝ハドリアヌス(スコットランドハドリアヌスの長城を築いたことで名高い人物)の墓として築かれたもの。完成したのは西暦139年、皇帝アントニヌス・ピウスの時代だった。その後、西暦217年まで歴代の皇帝が葬られたらしい。

サンタンジェロ城のアポロ・ホールとローマ教皇パウルス3世

そんなサンタンジェロ城の中に入り、暗い螺旋階段を登り、いくつもの通路を抜け、たどり着いたのが下の画像にある部屋だった。

イタリアの首都ローマのサンタンジェロ城の中にあるアポロ・ホール

15世紀に作られた部屋を、16世紀前半のローマ教皇パウルス3世が装飾させたんだそうな。アポロ・ホールと呼ばれている。

ファルネーゼ家の出身のパウルス3世がどんな人物なのかも知らなかったんだけど、調べてみればなかなか興味深いローマ教皇だった。フランスの首都パリで結成されたイエズス会を承認し、イングランド王ヘンリー8世を破門し、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の最後の審判を描かせた人物なんだそうな。

サンタンジェロ城の中で見たメディチ家のローマ教皇の紋章

ローマ教皇パウルス3世のアポロ・ホールの奥に小さな部屋がある。そこで見かけたのが、下の画像の紋章だった。

イタリアの首都ローマのサンタンジェロ城の中で見たメディチ家の紋章

ヴァティカン美術館・博物館の中のラファエロの絵画で名高いヘリオドロスの間で見た紋章と似ている。そう、フィレンツェの名家メディチ家の出身のローマ教皇レオ10世の紋章だね。

ローマ教皇レオ10世の礼拝堂

ローマ教皇レオ10世の紋章のある部屋の片隅には、下の画像に見る祭壇が設けられていた。

イタリアの首都ローマのサンタンジェロ城の中で見た礼拝堂の祭壇

サンタンジェロ城の中のこの小さな部屋は、メディチ家出身のローマ教皇レオ10世の礼拝堂だったんだね。

ついでながら、このサンタンジェロ城を要塞として強化したのは、ローマ教皇ウルバヌス8世だったそうな。あのサン・ピエトロ大聖堂の献堂式を挙行した人物。サン・マリノ共和国を独立国として承認した教皇でもあるね。地動説のガリレオの宗教裁判を行った教皇でもある。


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