東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「マルタ 聖ヨハネ騎士団の島」

13. コスピークワ散策(マルタ)

コスピークワのドックヤード

セングレア(旧リースラ)の北岸を歩き、コスピークワ(旧バームラ)に向かう。その風景が下の画像なんだ。

セングレア(旧リースラ)から眺めたコスピークワ(旧バームラ)とドックヤード・クリーク(マルタ共和国)

上の画像の右端には古ぼけた潜水艦(潜水したら二度と浮上することができなさそうな ・・・ )が見えるけど、その向こうにクレーンがあるよね。あの辺りがコスピークワのドックヤード(造船所)なんだ。というわけで、コスピークワの前の狭い入り江、つまりは聖アンジェロ城砦のあるヴィットリオーザとセングレアとの間の入り江は、ドックヤード・クリークと呼ばれている。

この辺りは古代フェニキア人たちも航海の基地として利用していた。それから2千年後の西暦1530年にハプスブルク家の皇帝カール5世からマルタ島を与えられた聖ヨハネ騎士団は、このコスピークワにドックヤード(造船所)を作ったんだそうな。そんなコスピークワは聖ヨハネ騎士団のマルタ島統治の中心スリー・シティーズの一角を占めていた。

コスピークワと空爆

その後、エジプト遠征に向かうナポレオンが西暦1798年にマルタ島を征服(やがて聖ヨハネ騎士団はローマに本拠を移した)したんだけど、西暦1800年にはイギリスがマルタ島を奪い取った。そのイギリスの海軍もコスピークワのドックヤードを使っている。

そのイギリス軍は第二次世界大戦中もマルタ島に基地を置いていた。そんなこともあり、マルタ島はドイツ軍やイタリア軍による空爆などの目標になり、コスピークワの街も破壊されたらしい。

コスピークワ(旧バームラ)の聖母マリア懐胎教会が見えてきた(マルタ共和国)

そんなコスピークワの街を歩き、やがて聖母マリア懐胎教会が見えてきた。その赤いクーポラが上の画像に見えている。

コスピークワの聖母マリア懐胎教会

コスピークワの聖母マリア懐胎教会のある場所には、西暦1565年のオスマン・トルコ軍によるマルタ島攻囲の時点で既に教会があったらしい。ところが、やがて教会は手狭となり、何度か建て替えが行われた。今の聖母マリア懐胎教会は西暦1732年に聖別された教会堂なんだそうな。

コスピークワ(旧バームラ)の聖母マリア懐胎教会(マルタ共和国)

その聖母マリア懐胎教会の中を歩こうと入口に近づいていった。が、扉は閉ざされている。さっき歩いたヴィットリオーザの聖ローレンス教会も聖ジョゼフ教会も閉まっていた。今日(土曜日なんだけど ・・・ )は教会に入るには不適切な日なのかな。

コスピークワの海辺からの眺め

教会にも入れず、コスピークワの海辺からぼんやりと眺めた景色が下の画像。右手には聖アンジェロ城砦のあるヴィットリオーザ。左端にちらっと見えているのはセングレアの聖ミカエル城砦の城壁の一部。目の前の海はドックヤード・クリーク。その向こうに見えているのは、聖ヨハネ騎士団によって建設された要塞都市ヴァレッタだね。

コスピークワ(旧バームラ)から眺めたヴィットリオーザ(旧ビルグ)とドックヤード・クリーク(マルタ共和国)

さて、これからどうしようかな。朝の計画ではヴァレッタまで歩くつもりだった。でも、暑い中を歩き続けて疲れてしまった。西暦1565年に聖ヨハネ騎士団の城砦を攻め続けたオスマン・トルコ軍の将兵たちも暑さで疲労が増したかもしれないね。

歩くのは諦めてバスでヴァレッタに戻ることにしよう。聖母マリア懐胎教会の前のバス停のベンチに腰を下ろす。5分もしないうちにヴァレッタ行きのバスがやって来た。有り難い。


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