コスピークワのドックヤードセングレア(旧リースラ)の北岸を歩き、コスピークワ(旧バームラ)に向かう。その風景が下の画像なんだ。
上の画像の右端には古ぼけた潜水艦(潜水したら二度と浮上することができなさそうな ・・・ )が見えるけど、その向こうにクレーンがあるよね。あの辺りがコスピークワのドックヤード(造船所)なんだ。というわけで、コスピークワの前の狭い入り江、つまりは聖アンジェロ城砦のあるヴィットリオーザとセングレアとの間の入り江は、ドックヤード・クリークと呼ばれている。
コスピークワと空爆その後、エジプト遠征に向かうナポレオンが西暦1798年にマルタ島を征服(やがて聖ヨハネ騎士団はローマに本拠を移した)したんだけど、西暦1800年にはイギリスがマルタ島を奪い取った。そのイギリスの海軍もコスピークワのドックヤードを使っている。そのイギリス軍は第二次世界大戦中もマルタ島に基地を置いていた。そんなこともあり、マルタ島はドイツ軍やイタリア軍による空爆などの目標になり、コスピークワの街も破壊されたらしい。
そんなコスピークワの街を歩き、やがて聖母マリア懐胎教会が見えてきた。その赤いクーポラが上の画像に見えている。
コスピークワの聖母マリア懐胎教会コスピークワの聖母マリア懐胎教会のある場所には、西暦1565年のオスマン・トルコ軍によるマルタ島攻囲の時点で既に教会があったらしい。ところが、やがて教会は手狭となり、何度か建て替えが行われた。今の聖母マリア懐胎教会は西暦1732年に聖別された教会堂なんだそうな。
その聖母マリア懐胎教会の中を歩こうと入口に近づいていった。が、扉は閉ざされている。さっき歩いたヴィットリオーザの聖ローレンス教会も聖ジョゼフ教会も閉まっていた。今日(土曜日なんだけど ・・・ )は教会に入るには不適切な日なのかな。
コスピークワの海辺からの眺め教会にも入れず、コスピークワの海辺からぼんやりと眺めた景色が下の画像。右手には聖アンジェロ城砦のあるヴィットリオーザ。左端にちらっと見えているのはセングレアの聖ミカエル城砦の城壁の一部。目の前の海はドックヤード・クリーク。その向こうに見えているのは、聖ヨハネ騎士団によって建設された要塞都市ヴァレッタだね。
さて、これからどうしようかな。朝の計画ではヴァレッタまで歩くつもりだった。でも、暑い中を歩き続けて疲れてしまった。西暦1565年に聖ヨハネ騎士団の城砦を攻め続けたオスマン・トルコ軍の将兵たちも暑さで疲労が増したかもしれないね。
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