ヴァレッタにある騎士団長宮殿要塞都市ヴァレッタの城壁を見た後、訪れたのは騎士団長宮殿(下の画像はその外観)だった。この建物は元々は聖ヨハネ騎士団のイタリア出身の騎士たちのグループ(「ラング」)のオーベルジュ(「騎士館」とでも訳すべきか ・・・ )だった。でも、聖ヨハネ騎士団が西暦1571年に買い取り、拡張した上で騎士団長宮殿としたんだそうな。
聖ヨハネ騎士団の騎士団長といえば、オスマン・トルコのマルタ島攻囲(グレート・シージ)に耐え抜き、要塞都市ヴァレッタの建設を命じたジャン・ド・ヴァレッテが真っ先に頭に浮かぶよね。でも、彼は西暦1568年に亡くなっているから、この宮殿は目にしていないんだそうな。
騎士団長宮殿の中庭昨日のことなんだけど、マルタ島に到着してすぐにホテルに入り、それからヴァレッタを散策した際にもこの騎士団長宮殿の中庭まではやって来たんだ。でも、既に閉館の時間になっていた為に入ることはできなかった。
そして今日はまだ閉館の時間にはなっていない。今度こそ堂々と騎士団長宮殿の中に入ることができるよ。ところが、今日は建物の2階部分に入ることができないって ・・・ 。というのも、今ではこの建物はマルタ共和国の大統領府と国会議事堂になっているんだけど、今日は何らかのイベントが開催されているみたい。
騎士団長宮殿で見た聖ヨハネ騎士団時代の武器などというわけで、ともかく騎士団長宮殿の中に入ることはできたけれども、聖ヨハネ騎士団時代に使われていたいくつもの部屋(騎士団時代の面影も残っている)を見ることはできなかった。
但し、建物の中の展示室では、聖ヨハネ騎士団ゆかりの武器など(上の画像はその一部)を見ることができたんだけどね。
騎士団長ウィニャクールの鎧騎士団長宮殿の中で見た聖ヨハネ騎士団ゆかりの武器などの中には、いくつもの鎧があった。その中でもひときわ目立っていたのが、右の画像にある鎧。西暦1601年から1622年にかけて騎士団長を務めたアロフ・ド・ウィニャクールの鎧なんだ。彼が騎士団長だった西暦1607年、マルタ島に興味深い人物がやって来た。イタリア・バロックの画家カラヴァッジョだ。といっても、殺人を犯して逃れてきたんだけどね。そんなカラヴァッジョを騎士団長ウィニャクールはかくまったらしい。 でも、やがてカラヴァッジョはマルタ島でも罪を犯し、ローマに向かう途中で亡くなっているんだけどね。そんなカラヴァッジョが騎士団長ウィニャクールを描いた絵が、パリのルーブル美術館に残されているらしい。 そんな騎士団長ウィニャクールは戦う組織としての聖ヨハネ騎士団の軍事力の強化にも努めている。オランダの造船所に巨大なガレオン船を発注したこともある。西暦1614年にはオスマン・トルコが数千人の兵士をマルタ島に上陸させたんだけど、騎士団長ウィニャクールは撃退に成功している。それがオスマン・トルコによるマルタ島への最後の侵攻だった。 そんな彼は西暦1607年には神聖ローマ帝国から公爵に叙せられている。また、フランスの名家である彼の家系からは、西暦1690年にも聖ヨハネ騎士団の騎士団長が出ているんだそうな。
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