東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「マルタ 聖ヨハネ騎士団の島」

17. 聖エルモ城砦の朝陽(マルタ)

ヴァレッタのホテルから眺めたマルタ島の朝焼け

今朝は5時半に目が覚めた。昨日はアッパー・バラッカ公園からスリー・シティーズの眺めを楽しんだ後、ホテルのバーでビールを飲み、更にレストランでディナーを楽しみ、イタリアのミラノから来ていた歯医者さんと意気投合して飲んだんだけど、歩き疲れたおかげで熟睡し、朝早くに目が覚めたみたいだね。

部屋のカーテンを開いて空を見上げる。まだ薄暗い。 ・・・ ということは、今ならばマルタ島の朝陽を見ることができるかもしれない。慌てて服を着てホテルのテラスに出る。そこから眺めた眺めが下の画像なんだ。

ヴァレッタのホテルから眺めた朝焼け(マルタ共和国)

朝焼けは素晴らしい。心を躍らせるものがある。でも、ちょいと場所が悪い。昇る朝陽はビルの影になっちゃいそうだ。場所を変えよう。ホテルの外に出よう。テラスのある3階から1階の小さなロビーまで階段を駆け下りる。エレベーターは私が到着した初日からずっと故障中だった。

物音にロビーのソファーで眠っていた誰かが跳ね起きた。ホテルの主人だ。ずいぶんと驚かせてしまったみたい。ごめん、ごめん。ちょいと朝陽を見に出てくるよと言い訳をしてホテルを走り出た。ホテルの主人は客が夜逃げをすると思ったかもしれないね。

ヴァレッタの先端にある聖エルモ城砦を目指して走った

さて、どこへ行くか。空が次第に明るくなる。急がないと朝陽を見逃してしまう。昨日の朝は寝坊をして朝陽に間に合わなかったんだ。高台にあるアッパー・バラッカ公園はどうかな。いや、こんな早朝には入口が閉まっているかもしれない。

ヴァレッタにある聖エルモ城砦の向こうの朝陽(マルタ共和国)

迷った末に向かったのはヴァレッタの先端だった。ともかく走る。やがて聖エルモ城砦の上に朝陽がちらっと見え始めた。それが上の画像なんだ。この方向で良さそうだ。更に走り続ける。もし私を見かけた人がいたならば、日本人旅行者が気が狂ったと思ったか、あるいは何か犯罪でもしでかして逃げていると思ったか。

聖エルモ城砦の朝陽

やがて聖エルモ城砦を間近に見ることのできる海辺に到着。そこから眺めた朝陽が下の画像なんだ。早朝からヴァレッタの街を走った甲斐があったと言えるよね。

ヴァレッタにある聖エルモ城砦に昇る朝陽(マルタ共和国)

マルタ島に上陸したオスマン・トルコ軍の猛攻を受けて聖エルモ城砦の城壁は崩れ落ち、その後の要塞都市ヴァレッタの建設によってこのあたりの様子は変わっただろうけど、この朝陽は16世紀と同じなんだろうな。オスマン・トルコ軍の猛攻によって聖エルモ城砦が陥落するまで戦い続けた聖ヨハネ騎士団の戦士たちもこの朝陽を眺めたんだろうね。

ヴァレッタにあるドミニコ教会

聖エルモ城砦の朝陽を眺めて満足し、ホテルに向かって歩く。もう走る必要はないからね。その途中、ヴァレッタ市内で見かけたのが、下の画像にあるドミニコ教会。

ヴァレッタにあるドミニコ教会(マルタ共和国)

聖ヨハネ騎士団がハプスブルク家の皇帝カール5世からマルタ島を与えられたのが西暦1530年のことなんだけど、その2年前にマルタ島にやって来たのがドミニコ派の修道会だった。そんな彼らに与えられたのが、この教会だった。正しくは「告知教会」というらしいけどね。

ちなみに、告知とは「受胎告知」のこと。中世の芸術家の重要なテーマの一つだよね。例えば画家フラ・アンジェリコなども「受胎告知」をテーマに絵画を残している。

そんな歴史あるドミニコ教会なんだけど、第二次世界大戦中にドイツ軍・イタリア軍による空爆で崩壊しちゃったらしい。目の前に見る教会は西暦1960年に再建されたものなんだそうな。


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