東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「マルタ 聖ヨハネ騎士団の島」

19. ヴァレッタの聖エルモ城砦(マルタ)

ヴァレッタの先端にある聖エルモ城砦に入る

ヴァレッタの街を背骨のように貫くリパブリック通りを下り、シベラス半島の先端にある聖エルモ城砦にやってきた。その入口付近の堀と城壁の様子が下の画像だ。

ヴァレッタにある聖エルモ城砦の入口付近の堀と城壁(マルタ共和国)

この聖エルモ城砦のあるシベラス半島の先端部分は、地中海の十字路とされるマルタ島の最大の港であるグランド・ハーバーの入口を扼する要所だった。というわけで、15世紀の初頭には見張所が置かれ、更には監視塔が建てられたそうな。

そして西暦1530年に聖ヨハネ騎士団が本拠地をマルタ島に移して後、西暦1551年には海賊ドラグートに率いられたオスマン・トルコ軍が上陸してきたことがあった。再度の侵攻を懸念した聖ヨハネ騎士団は、西暦1552年に星型の聖エルモ城砦の建設を始めている。

聖エルモ城砦から眺めたヴァレッタの高地

そして西暦1565年、オスマン・トルコの大軍が上陸し、マルタ島攻囲(グレート・シージ)が始まった。彼らが最大の攻撃目標としたのが、グランド・ハーバーの入口を扼する聖エルモ城砦だった。その城壁を破壊する為、彼らはシベラス半島の高地に大砲を並べ、大量の砲弾を聖エルモ城砦に撃ち込んでいる。

聖エルモ城砦から眺めたヴァレッタの高地(マルタ共和国)

そのシベラス半島の高地を聖エルモ城砦から眺めたのが上の画像だ。やがてオスマン・トルコ軍を撤退させた翌年から始まった要塞都市ヴァレッタの建設においては、敵軍に大砲に有利な布陣を許さないようにシベラス半島の高地も城壁の中に囲い込んでいる。

聖エルモ城砦から眺めたドラグート・ポイント

上陸したオスマン・トルコ軍が大砲を並べたのは、シベラス半島の高地だけではなかった。聖エルモ城砦のすぐ近くにあるティニエ岬にも大砲が並べられ、騎士たちの守る城砦に砲弾を撃ち込んでいる。

聖エルモ城砦から眺めたティニエ岬のドラグート・ポイント(マルタ共和国)

上の画像が聖エルモ城砦から眺めたティニエ岬なんだけど、そこに大砲を並べた部隊の指揮官が海賊ドラグートだったことから、岬の先端はドラグート・ポイントと呼ばれている。

聖エルモ城砦の中の礼拝堂

聖ヨハネ騎士団の本拠となっていた聖アンジェロ城砦を中心とするスリー・シティーズから離れ、敵中に孤立していた聖エルモ城砦。敵軍からは大量の砲弾が撃ち込まれ、騎士たちは傷つき、城壁は崩れつつあった。聖アンジェロ城砦からは補充の騎士たちや物資が小舟で送り込まれてはいた。でも、そんな補充は決して十分ではなかった。

そして西暦1565年6月23日、1ヶ月近くも持ちこたえた聖エルモ城砦がついに陥落した。城砦を守り続けていた騎士たちは全員が戦死。マルタ人の兵士たちも殆どが戦死している。生き残ったのは海に飛び込んで聖アンジェロ城砦まで泳いでいったマルタ人の兵士 9人だけだった。

ヴァレッタにある聖エルモ城砦の中の礼拝堂(マルタ共和国)

1ヶ月近くに渡って絶望的な戦いを続けた戦士たちは、砲声の静まる夜になると神様に祈りを捧げたかもしれない。上の画像は聖エルモ城砦の中の礼拝堂なんだけど、騎士たちはここに跪いて祈ったのかもしれないね。


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