東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「春のポルトガル」

リスボン、シントラ、オビドス、ナザレなど

09. オビドス -1. 中世の城壁

中世の城壁の街オビドスを遠望

昨夜はリスボン市内のホテルに泊まり、夕食もホテルのレストランでビュッフェ。エビの塩ゆでやバイ貝、イワシのマリネやカニなどなど、そしてポルトガルのワインがとっても美味しかった。そして旅の3日目となる今日は6時半に起床。9時にはバスに乗って出発だ。

中世の城壁の街オビドスを遠望(ポルトガル)

バスは北に向かって走る。目指すはリスボンの北 63kmにある小さな街オビドス。小高い丘の上にあるオビドスの街は、中世の城壁に取り囲まれているらしい。高速を走るバスの車窓から見えたオビドスの街が上の画像なんだけど、ちょいと遠すぎてよく見えないかな。

城壁に囲まれたオビドスの街に到着

オビドスの街に到着したのは10時半だった。人口3,000人ほどの小さなオビドスの街の城壁の中の道は細く、車が入ることは出来ないんだそうな。というわけで、城壁の外にある駐車場にバスは停車。歩いて街を観光するわけだね。

オビドスの街を取り囲む中世の城壁(ポルトガル)

西暦711年にジブラルタルを経て侵攻してきたイスラム教徒がリスボンを攻略したのが西暦719年のこと。前後してオビドスの街もイスラム教徒の支配下に落ちた。そのイスラム教徒が、このオビドスの街を要塞化し、城壁を築いたらしい。

とはいえ、「オビドス」という街の名前の語源は、ラテン語の「オッピドゥム」から来ているとか。その「オッピドゥム」という言葉は、古代ローマ帝国時代のケルト民族などの城砦を意味していたとか。古代ローマ帝国はこの場所を占領していたらしいけれども、その前には先住民がこの丘の上に城砦を築いていたのかもしれないね。

ポルトガル王国支配下の城壁の街オビドス

西暦1147年にリスボンを占領したポルトガル王国の初代の王アフォンソ1世は、その翌年にはこのオビドスの街を征服している。オビドスを支配下に置いたポルトガル王は、街を取り囲む城壁を強化・整備したらしい。イスラム教徒の襲撃に対する守りを固める為だった。

オビドスの街を取り囲む中世の城壁と塔(ポルトガル)

西暦1249年にはポルトガルにおけるレコンキスタ(国土回復運動)は完了し、国内でイスラム教徒の襲撃に備える必要は無くなった。でも、14世紀にはオビドスの防衛が強化されている。14世紀にはカスティーリャ王国が何度もポルトガルに侵攻していたんだけど、隣国に対する守りを固める必要があったんだね。

そんなカスティーリャとの関係がとりあえずの落ち着きを見せたのは、西暦1385年に初代アヴィス朝ポルトガル王ジョアン1世エンリケ航海王子の父親)が即位してからのこと。といっても、16世紀にハプスブルク家のスペイン王フェリペ2世皇帝カール5世の息子)との間でまたドラマがあるんだけどね。

オビドスの城壁の上を歩いた

そんな歴史を持つオビドスの城壁。よくぞ今まで残っていてくれたよね。しかも、その城壁の上を歩くことも出来るんだ。

オビドスの街を取り囲む中世の城壁の上を歩いた(ポルトガル)

但し、上の画像に見えるように、城壁の上には手すりもない。それでいて観光客があっちに向かいこっちに向かいするから、時としてすれ違うことも必要になる。城壁の下に落ちれば、間違いなくケガをするから、しっかり注意して歩かないとね。城壁の上からの眺めは良いんだけど、景色に見とれ過ぎないようにしなきゃ。


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