ジェロニモス修道院を遠望かつて西ゴート王国の首都でもあったスペインの古都トレドの脇を流れ、やがてはポルトガルの首都リスボンで大西洋に注ぎ込むテージョ川(スペインではタホ川)の河口近くに立つ発見のモニュメントあたりから内陸の方向を眺めれば、下の画像の風景が見える。画像の中央あたり遠くに見えているのが、世界遺産ジェロニモス修道院だね。
大ポルトガルの大航海時代を切り開いたエンリケ航海王子によって、ここに修道会の教会が建てられたのは15世紀の半ばのことだった。そしてポルトガルの命運を担う船乗りたちは、その教会で祈りを捧げてから船出して行ったんだそうな。
大航海時代のポルトガル王マヌエル1世とジェロニモス修道院そんな船乗りたちの冒険の結果、ポルトガルは大航海時代に入ったわけだ。そんな国を統治していたのがポルトガル王マヌエル1世だった。西暦1501年、マヌエル1世がこの船乗りたちの祈りの場所に建設を命じたのがジェロニモス修道院(その正面ファサードが下の画像)だった。
そんなジェロニモス修道院がとりあえずの完成に至ったのが西暦1601年のこと。着工から100年を経ていた。その間、最盛期のポルトガルが大航海時代に世界のあちこちで得た富が、このジェロニモス修道院の工事を支えたわけだ。
マヌエル様式の最高傑作とされるジェロニモス修道院大航海時代のポルトガルを代表するとも言われるジェロニモス修道院だけに、その装飾には海にまつわるものが多いんだそうな。例えばサンゴとか、例えば船のロープとか。そんな建築の特徴は、当時のポルトガル王マヌエル1世の名前からマヌエル様式と呼ばれている。そのマヌエル様式の最高傑作が、リスボンのジェロニモス修道院なんだそうな。(下の画像はそんなジェロニモス修道院の回廊の様子。)
過剰とも言えるほどの装飾を持つマヌエル様式は、基本的には後期ゴシックに属するらしい。でも、その中には後のバロックにつながる要素も含んでいるとも言われている。そんなジェロニモス修道院は西暦1983年に世界遺産とされ、リスボンでも人気の観光スポットになっているね。
ジェロニモス修道院に眠るヴァスコ・ダ・ガマこのリスボンのジェロニモス修道院には、インドのカリカットまで行ったヴァスコ・ダ・ガマのお墓(下の画像)がある。彼が開いたインド航路によってスパイスの貿易を展開し、莫大な富がポルトガルにもたらされたわけだよね。その冨でジェロニモス修道院が建てられたとも言えるわけだ。ポルトガル王マヌエル1世としても大航海時代の立役者ヴァスコ・ダ・ガマのお墓くらいここに作ってあげなきゃね。
このジェロニモス修道院には、ポルトガルの国民詩人カモンイスのお墓もある。ロカ岬の記念碑に詩の一節が刻まれている詩人なんだけど、大航海時代には船乗りたちを詩で讃えたんだそうな。故にここにお墓があり、発見のモニュメントにも像があるわけだよね。
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