リスボンのベレンの塔は大航海時代ゆかりの世界遺産私たちを乗せたバスは12時過ぎにリスボン市内に入った。西ゴート王国を滅ぼしたイスラム教徒がリスボンを征服したのは西暦719年のこと。そのリスボンを西暦1147年に奪い返したのは、ポルトガル王国の初代の王アフォンソ1世だった。やがて西暦1255年にリスボンはポルトガル王国の首都となっている。その直前の西暦1249年にはポルトガルのレコンキスタ(国土回復運動)が完了している。以後のポルトガルは海外への進出に乗り出すわけだ。やがてエンリケ航海王子やヴァスコ・ダ・ガマなどの英雄を得て、ポルトガルの大航海時代となる。 そんな大航海時代のポルトガルの最盛期を代表するのが、マヌエル様式に名を残すポルトガル王マヌエル1世だった。そのマヌエル1世の命によってリスボンを流れるテージョ川の防衛の為に築かれたのが、下の画像にあるベレンの塔(あるいはサント・ヴィンセントの塔)だった。その着工は西暦1515年、完成までに数年を要したらしい。
リスボン有数の観光名所であり世界遺産ともなっているベレンの塔なんだけど、ここが戦いの舞台となったこともある。西暦1580年、スペイン王フェリペ2世(ハプスブルク家の皇帝カール5世の息子)がポルトガル王を兼ねることとなった。でも、ポルトガルにはその即位に抵抗する人々もいた。そんな人々がこのベレンの塔にたてこもって戦った。結局は彼らはスペイン軍に降伏し、フェリペ2世がポルトガルの王となったんだけどね。
発見のモニュメントはポルトガルの大航海時代の記念碑そんなベレンの塔から見れば、すぐ近くに見えるけれども、実は 1kmほど離れた場所にあるのが、発見のモニュメントだね。ポルトガルの人々にとっては古き良き黄金時代とでも言うべき大航海時代の記念碑だよね。
上の画像がその発見のモニュメントなんだけど、そもそもは西暦1940年に博覧会の為に建てられたんだそうな。その後、西暦1960年にエンリケ航海王子の没後500年を記念し、あらためてコンクリートで永続性のある記念碑と建てられたのが今の発見のモニュメントなんだそうな。
発見のモニュメントの先頭に立つエンリケ航海王子そんな発見のモニュメントの横に回りこんで見上げた様子が下の画像。先頭に立っているのは、ポルトガルの大航海時代を切り開いた指導者とされるエンリケ航海王子だね。
この発見のモニュメントには、その他にも多くの大航海時代の関係者が刻まれている。インドに到達したヴァスコ・ダ・ガマ、ブラジルを発見したカブラル、航海術の改善に貢献した数学者ペドロ・ヌネシュ、詩で航海者を讃えたカモンイス(ロカ岬の記念碑にも詩の一説が刻まれている)などなど。
発見のモニュメントの大きさところで、この発見のモニュメントなんだけど、比較できるビルなどが周囲にないこともあって、その大きさがピンと来ないんだ。資料によればその高さは52メートルと書いてはあるけどね。でも、下の画像を見れば、発見のモニュメントの大きさが分かりやすいかも。画像の左に写っている私がとっても小さいからね。
ついでながら、上の画像の中に女性の像が見えるでしょ。彼女はポルトガル王ジョアン1世の王妃なんだけど、エンリケ航海王子の母上なんだそうな。その左側はエンリケ航海王子の兄のコインブラ公ペドロ。幼くしてポルトガル王となった甥のアフォンソ5世の摂政となったんだけど、後に反逆者の汚名を着せられて戦いで亡くなったらしい。
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