東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
春のルーマニア
東欧(1998年5月)


ワラキア公国とルーマニアの歴史

03. ミルチャ老公の時代

  • 1391年、ヨーロッパ側に勢力を拡大していたオスマン・トルコ軍が、ドナウ川を渡り、ワラキア(ヴァラキア)に侵入した。

    ワラキア公ミルチャ老公は、ハンガリー王と同盟してオスマン・トルコ軍を撃退した。

    このミルチャ老公は、ワラキア公国に自立をもたらしたバラサブ1世の孫であり、また後のヴラッド・ツェペシュ公の祖父でもあった。

  • 1394年、オスマン・トルコのバヤジット1世に率いられたトルコ軍がワラキアに侵入した。

  • 1395年、ワラキア公ミルチャ老公はハンガリー王国の支援を得てオスマン・トルコと戦ったが敗北。ミルチャ老公はカルパチア山中を北へ向かい、トランシルヴァニアへ亡命した。

    ワラキアでは、オスマン・トルコへの貢納を約束したダン1世がヴォエヴォド(公)となった。しかし、ハンガリー王国の支援を得たミルチャ老公はワラキアのヴォエヴォド(公)として復位し、オスマン・トルコに対する抵抗を続けた。

    下の画像は、トランシルヴァニアから南に向かって眺めたカルパチア山脈の様子。
トランシルヴァニア側から見たカルパチア山脈

  • 1396年、第二次ブルガリア帝国の全ての領土がオスマン・トルコの支配下に入り、ブルガリア帝国が滅亡した。

    同じ年、ヨーロッパ各国から派遣された十字軍を率いたハンガリー王ジギスムントが、ニコポリスの戦いにおいてオスマン・トルコ軍に敗れた。

  • 1409年、トランシルヴァニアに住むルーマニア人ヴォイクが、ルクセンブルク家出身のハンガリー王ジギスムントによって、ハンガリー王国の貴族となった。

    ハンガリー貴族に同化したヴォイクの子孫がフニャディ家であり、やがてオスマン・トルコとの戦いの英雄フニャディ・ヤーノシュを生み出すことになる。

    その息子が1458年に即位したハンガリー王マーチャーシュ(マティアス・コルヴィヌス)である。

  • 1410年、ハンガリー王ジギスムントが神聖ローマ皇帝となった。皇帝は帝国をオスマン・トルコから防衛するための組織として、ドラゴン騎士団を創設した。

    余談ながら、この神聖ローマ皇帝にしてハンガリー王ジギスムントは、後にジプシーに通行許可証を発行したらしい。そして、ジプシーたちによって独特のハンガリー音楽やフラメンコが生み出されたわけだ。

  • 1415年、ワラキア公ミルチャ老公は、オスマン・トルコと和約を結んだ。これにより、ワラキア(ヴァラキア)公国は、オスマン・トルコに貢納の義務を負った。

  • 1418年、ワラキアのヴォエヴォドたるミルチャ老公が死去。以後、バサラブ1世の子孫はミルチャ老公の子孫とダネスティ家とに別れて公位争いを続け、他方では貴族が勢力を拡大し、ワラキアのヴォエヴォド(公)の権威は低下していった。

  • 1420年、オスマン・トルコがモルドヴァを攻撃した。



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