東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

サンクト・ペテルブルクの旅(ロシア)
1999年8月


1999年8月15日
12. エルミタージュへ

アレクサンドルの円柱 いよいよ今日はロシアの古都サンクト・ペテルブルク観光の目玉、エルミタージュ美術館・博物館にやってきた。

しかし、まだ入口の扉が開いていない。順番の確保は添乗員のO氏に任せて、私たちはエルミタージュの前の広場を歩き回る。

広場の中央に立っているのは、1834年に立てられたアレクサンドルの円柱。高さ48メートルの円柱の上に乗っているのは、大天使ミハイルだろうか。

歴史の舞台

エルミタージュの前の広場。何度も歴史の舞台となった広場だ。

エルミタージュと広場




血の日曜日事件

日露戦争の敗色が濃厚となっていた1905年1月9日のこと。ガポン神父に率いられた人々が、この広場に集まっていた。人々の多くは、サンクト・ペテルブルク付近の工場の労働者達だった。彼らは労働条件の改善を求める請願書を皇帝に提出しようとしていた。

しかし、警備していた軍は、イコンを先頭に静かに歩く人々に向かって一斉射撃を行った。その結果、数百人が命を失い、数千人が負傷したといわれている。このエルミタージュ広場で流れた血(血の日曜日事件)は、ロシアの民衆を先鋭化させた。ある意味では、広場で流された血が、ロシア革命を後押ししたのかもしれない。

レーニンと十月革命

第一次世界大戦さなかの1917年10月24日深夜、レーニン配下のボルシェヴィキの武装勢力が、サンクト・ペテルブルク市内の橋・鉄道・電話局などの要所を占拠した。当時政権を掌握していたケレンスキーは直ちに脱出した。

明けて10月25日、巡洋艦オーロラ号の号砲を合図に、あちこちでボルシェヴィキ武装勢力が蜂起しロシア十月革命が勃発した。やがて、エルミタージュの宮殿の守りを固めていたコサック兵や士官候補生たちも宮殿を見捨て、宮殿にたてこもっていたケレンスキー内閣の閣僚達も逮捕された。ここにレーニンの指導するボルシェヴィキ勢力が革命ロシアを掌握し、やがてソ連を形成する流れにつながるのである。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索



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