バルセロナの大聖堂(聖エウラリア大聖堂)ゴシック地区の画商から絵を買い、再び歩き始める。小さな広場では大道芸人のパフォーマンスをしばし眺める。ロンドンでも路上のミュージシャンや大道芸人たちがいるけど、彼らを眺めている間にスリにやられちゃったりするんだよね。気をつけなきゃ。いきなり視界が開けた。バルセロナの大聖堂に到着した。正しくは聖エウラリア大聖堂あるいはサンタ・エウラリア大聖堂というらしい。その聖エウラリアなんだけど、古代ローマ帝国時代のキリスト教徒に対する迫害で殉教した方なんだそうな。バルセロナの守護聖人となっている。(ちなみに、バルセロナを含むカタルーニャ地方の守護聖人は聖ジョージ。) ![]()
このバルセロナの大聖堂のある場所には、4世紀には既に教会があったんだそうな。その後、西ゴート王国の時代にも教会は存続していた。
ゴシック様式で建てられたバルセロナの大聖堂その後、西暦711年には北アフリカから侵攻してきたイスラム教徒が西ゴート王国を滅ぼし、バルセロナもイスラム教徒によって征服された。でも、9世紀初頭にはフランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)がバルセロナを奪い返し、スペイン辺境領に組み込まれている。このバルセロナの教会は、そんな動乱を乗り越えて存続したらしい。ところが10世紀末にはスペイン南部アンダルシア地方から侵攻してきた後ウマイヤ朝の実力者アル・マンスールによってバルセロナが占領され、ここにあった教会も破壊されてしまった。その跡地にロマネスク様式の教会が建てられたのは11世紀の半ばだった。 その後、目の前に見る今のバルセロナの大聖堂の建設が始まったのは、西暦1298年のことだった。フランスの首都パリの郊外で建てられていたサン・ドニ大聖堂やシテ島のノートルダム大聖堂の影響を受け、ゴシック様式が取り入れられた。そんなバルセロナの大聖堂が完成したのは、西暦1448年のことだった。 ![]()
そんな歴史あるバルセロナの大聖堂の前の広場の様子が上の画像なんだけど、人々が急ぎ足で歩いていたよ。クリスマス・イブは明日に迫っているし、クリスマスの準備を早く整えないといけないんだね。上の画像にも見えている大聖堂前の広場に並ぶ多くの店では、クリスマスに必要な品々を売っていたよ。
ついでながら、西暦1585年にイタリアのローマで教皇に拝謁した天正遣欧少年使節なんだけど、帰路はイタリアから船に乗り、このバルセロナに上陸している。キリスト教徒だった彼らはこのバルセロナの大聖堂にも立ち寄ったかもしれないね。その後、彼らはスペイン内陸部を横断してポルトガルから船出して帰国したんだそうな。
バルセロナの大聖堂の中へ広場の店先に並べられたクリスマスの飾りつけなどの商品を眺めながら、大聖堂へと向かう。明日になればこの大聖堂には多くの人々が集まり、ミサが執り行なわれ、賛美歌が響くんだろうね。今日はまだ大聖堂の中にも人影は少ないし、静かだけどね。![]()
そんなバルセロナの大聖堂の中庭の様子が上の画像。クリスマスの為にキリスト誕生の場面が人形で再現してあったよ。右の奥に見えているのが、キリストが生まれた馬小屋みたい。そちらに向かって歩いているのは、救世主の誕生を祝う為にやってきた東方三博士かな。
ついでながら、イエス・キリストの誕生の際に東方三博士がやって来たと書いたのは新約聖書の中の「マタイによる福音書」なんだけど、その新約聖書に収録されている他の福音書は東方三博士について言及していないんだそうな。「ルカによる福音書」では、キリスト誕生の際にやってきたのは野宿をしていた羊飼いだったとされている。
バルセロナの大聖堂の壁に古代ローマ帝国時代の市壁の遺構大聖堂の中を歩いたら、外に出て建物の側面を歩く。下の画像に見える大聖堂の壁には、古代ローマ帝国時代の市壁の遺構が取り込まれているんだそうな。![]()
ポエニ戦争に勝利を得てイベリア半島を支配した古代ローマ帝国の遺跡は、バルセロナにもあちこちに残っている。この市壁のみならず、付近の山から街に水を供給した水道橋の遺跡も発掘されている。
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