バルセロナで見たガウディのバトリョ邸一旦ホテルに戻り、買い物の成果を部屋に置き、身軽になって再び出かける。今度はホテルから北に向かって歩く。目指すはバルセロナの誇る建築家アントニオ・ガウディが手がけた建物の一つであるバトリョ邸だ。ホテルからバトリョ邸までは歩いても10分で到着するはず ・・・ だった。ところが、なかなか到着しない。というのも、バトリョ邸のあるグラシア通りは、言わばバルセロナの銀座のような場所。華やかなショー・ウィンドウに家内がいちいちひっかかっていたんだ。 ![]()
やがて到着したバトリョ邸の様子が上の画像。アントニオ・ガウディは西暦1904年から1906年にかけてバトリョ邸をてがけたらしい。但し、この建物を新築したのではなく、改装だったらしいけどね。
バトリョ邸のコンセプトはカタルーニャの守護聖人サン・ジョルディ必ずしも異論が無いわけじゃないんだけど、このバトリョ邸の改装においてガウディが表現したのは、スペイン北東部のカタルーニャ地方(その州都がバルセロナ)の守護聖人であるサン・ジョルディだったと言われることが多いみたい。そのサン・ジョルディなんだけど、キリスト教の聖人にして、イングランドやグルジアなどの守護聖人でもある聖ジョージ(セント・ジョージ)のことなんだ。その説によれば、上の画像に見えるガウディのバトリョ邸は次のように解釈されるらしい。屋根の青緑の瓦はサン・ジョルディが退治したドラゴンのウロコ、ベランダは過去にドラゴンによって殺された騎士たちの兜、窓の中の白い柱は亡くなった騎士たちの白骨、煙突はサン・ジョルディがドラゴンに突き立てた槍、・・・ だそうな。 では、そのサン・ジョルディ(聖ジョージ)が何故にカタルーニャ地方の守護聖人となったのか。西暦711年に北アフリカから侵攻してきたイスラム教徒がスペインを征服した。ところが、アストゥリアス王アルフォンソ1世やフランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)などによってイスラム教徒は圧迫され始めた。 退却するイスラム教徒は、カタルーニャ地方にドラゴンを解き放った。そのドラゴンはカタルーニャ地方の少女たちを食べ、退治しようと挑戦した騎士たちを殺し続けたらしい。そこに登場し、ドラゴンを退治したのがサン・ジョルディ(聖ジョージ)だった。 西暦1456年、カタルーニャ議会は4月23日をサン・ジョルディ(聖ジョージ)の祭日と定めたんだそうな。ちなみに、それから36年後の西暦1492年、カトリック両王(カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世)によってスペイン最後のイスラム勢力となったナスル朝の古都グラナダが陥落している。
ガウディのミラ邸バトリョ邸からグラシア通りを更に10分ほど歩けば、同じくガウディの手によるミラ邸(下の画像)にたどり着く。このミラ邸の建設が行われたのは、バトリョ邸の改装の後だったそうな。![]()
この直線の全く無いミラ邸は、地中海の波をモチーフとして建てられたらしい。でも、ミラ邸が完成した頃のバルセロナの人々には評判が悪く、この建物は石切り場と呼ばれていたんだそうな。ちなみに、フランスの首都パリのエッフェル塔も完成当時はとっても評判が悪かったらしい。革新とは、そんなものなのかもしれないね。
夜のバルセロナそんなこんなでバルセロナの街歩きを楽しみ、旅の2日目も過ぎていく。いつの間にか太陽も沈み、バルセロナの街も暗くなってきた。![]()
さて、今夜は何処で食事にしようかな。グラシア通りにするか、あるいはランブラス通りの店か。
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