バルセロナに立つコロン(コロンブス)記念塔レパントの海戦の司令官ドン・フアン・デ・アウストリアが乗ったガレー船の実物大復元模型などを見て、バルセロナの海洋博物館(旧国立造船所)を出る。![]()
すぐ目の前にそびえているのが、上の画像にあるコロン(コロンブス)記念塔なんだ。その塔の上、50メートルの高さからコロンブスがこちらを見下ろしている。
コロンブスとバルセロナこのコロン(コロンブス)記念塔は西暦1886年に建てられたんだそうな。でも、新大陸アメリカを発見したコロンブスがバルセロナから出航したわけでもないのに、何故にここにコロンブスの記念塔があるのかな。一般的にはコロンブスはイタリアのジェノヴァの出身とされることが多いよね。でも、このスペインのカタルーニャ地方では、彼はバルセロナの生まれだったとされている。15世紀のバルセロナにコロンという一族が住んでいたんだけど、そのアントニとマグダレナという夫婦の子供として生まれたのが、新大陸を発見したコロンブスだったというわけだ。コロンブスが使っていた紋章は、アントニとマグダレナの夫婦が通っていた教会の紋章と同じだったと。 ![]()
但し、コロンブスの航海に出資をしたのが、カスティーリャ女王イサベル1世だったこともあり、新大陸との貿易はスペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアの港の独占とされ、しかも新大陸貿易に携わることが出来るのはカスティーリャの人々のみとされ、バルセロナを含むアラゴン・カタルーニャの人々は締め出されていたんだ。
バルセロナのレストランで海の幸そんなコロンブスの記念塔を見上げながら、海辺の道を歩く。やがて到着したのは創業1836年という老舗のレストラン「シエテ・ポルテス」。その店のカードが下の画像なんだ。![]()
まずは前菜は新鮮な魚介類の取り合わせ。ゆでただけの貝だのエビだのが、氷のたっぷり乗った器に盛られて登場。続いてメインは魚介類のパエリャ。どちらも地元産の白ワインにぴったりだった。
バルセロナのレイ広場(王の広場)と大王宮レストランで海の幸と白ワインを堪能し、いささか酔っ払って店を出た。そのまま歩いてゴシック地区へと向かう。このゴシック地区はバルセロナの中でもあまり治安が良い方とは言えないから、酔っ払って歩くのは危ないんだけどね。アルコールの勢いで行っちゃったわけだね。やがて到着したのはレイ広場(王の広場)。下の画像がその様子なんだけど、奥に見える階段の上に見えるのが、大王宮の入り口だったらしい。かつてこの王宮にはアラゴン・カタルーニャ連合王国の王が住んでいたんだそうな。最初の航海を終えたコロンブスがカトリック両王(カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世)に報告の為に謁見したのも、この王宮だったとか。 ![]()
但し、さほど治安のよろしくないゴシック地区の中でも、このレイ広場(王の広場)界隈は特によろしくない場所なんだそうな。上の画像を見ても、人影は少なくて、たむろしているのは若いカップルが2組ほど。確かに不気味な空気が漂っているかも。
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