東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「春のスペイン」

トレド、マドリッド、セゴビアを周り、歴史とバルと闘牛を楽しんだ

02. 古都トレド遠望

タホ川に守られたスペインの古都トレド

スペインの古都トレドに到着したのは16時頃だった。でも、私たちを乗せたバスはすぐには街に入らず、タホ川の対岸の道を走る。

スペインの古都トレドの脇を流れるタホ川

上の画像はそのバスの窓から撮影したものなんだけど、画像の左側、タホ川の向こうに見えているのが、スペインの古都トレドの市街地なんだ。このトレドの街は、その東・南・西の三方向はタホ川に守られ、北側には城壁を築いて守りを固めていたんだそうな。

丘の中腹から古都トレドを遠望

やがてバスが停車したのはタホ川のほとりの丘の中腹だった。その路肩から眺めたスペインの古都トレドの風景が下の画像なんだ。

タホ川の対岸の丘から眺めたスペインの古都トレド

上の画像の中の左の方に塔が見えているよね。あれがトレド大聖堂の塔だね。そして右の方には黒っぽい屋根の塔を四隅に持つ長方形の建物が見える。あれがアルカサルなんだそうな。

あのアルカサルには、スペイン内戦勃発時に反乱軍が籠城したらしい。政府軍に包囲されたアルカサルの反乱軍を救出したのが、フランコ将軍だった。やがてフランコ将軍は反乱軍の指導者となり、スペイン内戦の勝利を得て独裁者フランコ総統となっていったんだ。

パラドールから眺めた古都トレド

再びバスに乗り込み、更に丘の道を登っていく。やがて到着したのは今夜の宿となっているパラドール(詳しくは次のページで)。そのパラドールのテラスから眺めた古都トレドの風景が下の画像なんだ。

タホ川の対岸の丘の上にあるパラドールのテラスから眺めたスペインの古都トレド

このスペインの古都トレドは、かつては西ゴート王国の首都だった。西暦507年にフランク王国とブルグント王国の連合軍に敗れた西ゴート王国は、その首都をバルセロナ、次いでトレドに移したんだ。

ところが、西暦711年には北アフリカから渡ってきたイスラム教徒によって西ゴート王国は滅ぼされ、トレドの街もイスラム教徒の支配下に入った。そして西暦1085年、レコンキスタ(国土回復運動)によって次第に南下してきたカスティーリャ王アルフォンソ6世が古都トレドを奪還した。

その後のカスティーリャ王国の宮廷はあちこちに移動していたんだけど、やがてトレドが実質的にスペインの首都となっていった。でも、ハプスブルク家のスペイン王フェリペ2世神聖ローマ帝国皇帝カール5世あるいはスペイン王カルロス1世の息子)が首都をトレドからマドリッドに移したんだそうな。

その後の古都トレド

首都がマドリッドに移されてからも、古都トレドはスペインの歴史の重要な舞台の一つであり続けている。例えば、画家エル・グレコは17世紀初頭までこのトレドの街で制作を続けていたんだ。

またトレド大聖堂にはトレド大司教がいるんだけど、そのトレド大司教はその後もスペインのカトリックのトップとされている。つまり、このトレドはスペインのカトリックの中心というわけだね。


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