4. プラド美術館(マドリッド)。ラ・マンチャの荒野スペインの古都 トレドを出発したバスは、ひたすら荒野を走る。ドン・キ・ホーテの舞台となったラ・マンチャの荒野だ。プラド美術館(マドリッド、スペイン)3時にはマドリッドに到着。市内を走りつづけたバスが停車したのは、プラド美術館の前。イースターの連休ということもあり、美術館の前には行列ができている。待つこと30分。しかたがない。 プラド美術館には数々の名画があるんだけど、今日はベラスケスとゴヤの絵を取り上げようかな。
ベラスケスの「女官たち (ラス・メニナス)」まずは、ベラスケス。ベラスケスの作品の中でも名画とされている「女官たち」(右の画像は、その一部)も展示されている。
ゴヤの「カルロス4世の家族」それから、ゴヤ。右の画像は、ゴヤの「カルロス4世の家族」の一部だ。幸せそうな王家の人々に見えるよね。でも、この絵が描かれた1800年から1801年にかけて、隣国フランスではナポレオンが権力を確立しつつあった。 そして1808年、皇帝ナポレオンの将軍ミュラの率いるフランス軍がスペインの都マドリッドに向かって進撃していた。 フランスに対して為すところ無く、逃亡しようとしていたスペイン王カルロス4世に対して、スペインの民衆は暴動を起こした。カルロス4世は廃位され、その息子フェルナンドが王位に即いた。しかし、スペインはフランスの支配下に入ってしまったんだ。 しかし、スペインの人々は、帝国フランスによる支配を受け入れようとはしなかった。そして、1808年5月2日、スペインの民衆はミュラ将軍指揮下のフランス軍に対して蜂起したんだ。 |
ゴヤの名画 「1808年5月3日」もちろん、強大な軍事力を誇るフランス軍に対するスペインの人々の戦いは悲惨を極めた。武器をも持たぬ人々が、あちこちで殺されたんだ。ゴヤの描いた名画「1808年5月3日」(左の画像はその一部)は、そんな悲惨なスペイン独立戦争を描いているわけだ。
ゴヤの「我が子を食うクロノス(サトゥルヌス)」やがてナポレオンは失脚し、スペインにも平和が甦った。しかし、病気に倒れ耳が聞こえなくなって以後のゴヤは、「黒い絵」と呼ばれる一連の絵画ばかりを描くようになっていた。そこに描かれていたのは、人間の内面の持つ暗さ、不気味さだった。巨神族のクロノスは、父であるウラノスを殺し、宇宙の支配者となった。しかし、父ウラノスの最後の言葉は、「お前(クロノス)は自分の子供に王座を奪われる」というものだった。 その予言を恐れたクロノスは、生まれた子供たちを次々と食べてしまったんだ。ゴヤの「我が子を食うクロノス(サトゥルヌス)」(左の画像はその一部)は、そんなクロノスを描いている。 しかし、クロノスの妻レアは、ゼウスが生まれるとクレタ島に逃したんだ。そのゼウスが成長し、予言どおりにクロノスから王座を奪ってしまった。
マドリッドの治安 5時半にはツアーの全員が集合し、バスに乗り込みホテルに向かう。そのバスの中では現地ガイドのM氏(日本人の男性)の説明があった。 最近のマドリッドは、極めて治安が悪化しているらしい。スリに限らず、徒党を組んでの強盗事件も多発しているとのことだ。 特にレティロ公園では注意が必要なのだそうだ。家内と私が5年前にマドリッドを訪れたときには、池のほとりのカフェで午後の休憩をとったレティロ公園。そういえば、あの時も公園にはジプシーが多かったけれど、... 。 バールをハシゴ ホテルに入り、貴重品を金庫にしまいこむ。いささかの現地通貨だけを持ち、マドリッド市内へ。目指すはバール。今夜は、バールのハシゴをするつもりだ。 (その詳細については、このサイトのレストランのコーナーの中の「マドリッドでバールをハシゴ」のページを読んでくださいね。)
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