東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
春のブルガリア
東欧(1997年5月)
ブルガリアの歴史
06. ビザンチン帝国による支配
- 1040年、第一次ブルガリア帝国末期の皇帝ガブリル・ラドミルの子ペタル・デリャンが、ベオグラードにおいてビザンチン帝国に対する反乱を起こした。
ペタル・デリャンの反乱軍は一時期は広大な勢力を得たが、内部の争いによって衰退し、やがてビザンチン帝国軍によって鎮圧された。
- 1048年、ペチェネグ族が現在のソフィアを劫略した。
- 1071年、マンジケルトの戦いにおいて、ビザンチン帝国軍がセルジューク・トルコ軍に敗北。
ビザンチン帝国の混乱に乗じたブルガリア貴族が、反乱を起こした。
- 1072年、反乱を起こしたブルガリア貴族は、第一次ブルガリア帝国の皇室に連なるセルビア公の息子コンスタンティン・ボディンに「ブルガリア人の皇帝」の称号を送り、ビザンチン帝国との戦いを継続した。
しかし、コンスタンティン・ボディンはブルガリアをセルビアに併合しようとしたためにブルガリア貴族たちとの関係が悪化し、反乱は失敗に終わった。
- 1078年、ペチェネグ族が現在のソフィアを劫略した。
- 1096年、聖地へと向かう第一回十字軍の部隊の通過により、ブルガリアは多大な損害を蒙った。
- 1183年、マジャール系アールパード朝の支配するハンガリーが、現在のソフィアを劫略した。
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