東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
春のブルガリア
東欧(1997年5月)
ブルガリアの歴史
07. 第二次ブルガリア帝国
- 1185年、ブルガリア貴族ペタルとアセンの兄弟が、ビザンチン帝国に対する反乱を起こし、ブルガリアの独立を宣言した。
ビザンチン帝国による重税やギリシア人による圧迫に反発していたブルガリアの人々はペタルとアセンによる反乱を支持した。
ペタルとアセンはブルガリア人修道士バシルに大主教の地位を与え、バシルによって兄のペタルがブルガリア皇帝に戴冠された。
- 1186年、ビザンチン帝国は遠征軍をブルガリアに派遣。敗れたペタルとアセンはドナウ川の北に逃れた。
しかし、クマン族の支援を得たペタルとアセンは、ビザンチン軍の撤退後に再び軍事行動を再開し、ブルガリア北部を支配下に置いた。
- 1188年、再びビザンチン帝国が遠征軍をブルガリアに派遣。しかし、ブルガリア軍を破ることが出来ず、ブルガリアとビザンチン帝国との間に和議が結ばれた。ここに第二次ブルガリア帝国が成立。
- 1190年、ビザンチン帝国軍がブルガリアに侵攻したが敗れ、かえってブルガリア帝国が勢力を拡大する結果となった。
- 1194年、第二次ブルガリア帝国が現在のソフィアの街を征服した。
- 1199年、第二次ブルガリア帝国の皇帝カロヤン(ペタルとアセンの弟)が、ビザンチン帝国に侵攻。
- 1202年、ブルガリア帝国とビザンチン帝国との間に講和が成立した。これによりブルガリア帝国の領土の拡大が認められた。
- 1204年、第4回十字軍によってコンスタンティノープルが占領され、ラテン帝国が成立した。
トラキアに避難したビザンチン貴族に支援を求められたブルガリア帝国がラテン帝国軍と戦い、アドリアノープルなどを占領した。
- 1205年、ブルガリア皇帝カロヤンの軍がラテン帝国軍を破り、捕虜となったラテン帝国の皇帝ボードワン1世はブルガリア帝国によって処刑された。
- 1213年、第二次ブルガリア帝国とラテン帝国との間で講和が成立した。
- 1218年、カロヤン帝の子イヴァン=アセン2世がブルガリア帝国の皇帝に即位。彼の統治下で第二次ブルガリア帝国は最盛期に達した。
- 1235年、ブルガリア教会はコンスタンティノープル総主教から独立の地位を獲得した。
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