東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

春のブルガリア
東欧(1997年5月)



1997年5月24日(土曜日)
01. 聖ソフィア大聖堂と総主教宮殿 (ブルガリア)

今日からイギリスは三連休。その休みを利用して、ブルガリアへの旅に出かけることになっている。ちなみに今回の旅はツアー。ロンドンにある日系の旅行会社Mトラベルさんのツアーなんだ。

ブルガリアは何処にある

ブルガリア略図(東欧) 旅に出かける前に、ブルガリアが何処にあるのか、勉強しておこうかね。まずは右の略図を見てみよう。

ブルガリアは東欧の中でも南にある。北にはドナウ川をはさんでルーマニア、西には旧ユーゴスラヴィア、南にギリシャ、東南にはトルコがある。

東側は黒海があるけど、海の向こうのグルジアも隣国と言えなくもないかな。

ブルガリアっていったい...

大部分の人はブルガリアといえば、ヨーグルトとコーラスぐらいしか浮かばないと思うけど、旅行前の私も似たようなものだった。で、インターネットで調べてみたんだ。

名所や歴史は後で詳しく書くとして、その国情がなんともいえないね。例えば、あるウェブ・サイトによれば「スリ・かっぱらいが多発しており、空港では預けた荷物が消え、一流ホテルの部屋でも荷物が盗まれることがある...」「クレジット・カードは全く使えず、現金だけが頼り...」だそうな。

(敢えて火中の栗を拾うような旅行やな。)
うん、家内もビビりまくりだよ。私もちょっとビビッてるけどね。(念のために書いておきますが、ここでの話は1997年当時のものです。今は状況は改善して...いることを望みますが。)

1989年に共産主義が崩壊して以後、ブルガリアの経済は混乱に陥っているから、ありそうな話ではあるなあ。さて、実際はどうなんだろうか。現地に行って歩いてみないとわからないよね。

ブルガリアは遠いぞ !!

まずはロンドンヒースロー空港を離陸したのが朝の8時。ドイツのミュンヘン空港に到着したのが9時半。ここで時計を1時間進めて、大陸時間で10時半。

ミュンヘン空港を離陸したのは大陸時間で11時半。機内食を食べ終わったのは12時半。ここで時計を更に1時間進めて、ブルガリア時間で午後の1時半だ。

ブルガリアの首都ソフィアの空港に到着したのは、ブルガリア時間で午後2時半。イギリス時間では12時半だから、乗り継ぎの時間も含めて都合4時間半の空の旅。もう疲れちゃった。日本からヨーロッパに飛ぶよりは近いんだけどね。




直ちにソフィア市内観光、まずは聖ソフィア大聖堂へ

しかし、フライトだけで疲れたなんて言わせてくれないのが、ツアーの良いところでもあり、辛いところでもあるよね。空港からバスに乗って出発し、ホテルに入ることもなく、ソフィア市内観光が始まるわけだ。

聖ソフィア大聖堂と無名戦士の墓(ブルガリア) まずは現在のブルガリアの首都ソフィアの街の名前の元になった聖ソフィア大聖堂(右の画像)。

これが実は由緒ある教会だったりする。5世紀にフン族がブルガリアに侵入し、現在のソフィアの街を破壊した。そのソフィアの街を再建したのが6世紀のビザンチン皇帝ユスティニアヌス。その再建の際に、この聖ソフィア大聖堂の最初の建物が建てられている。

ちなみに右の画像の左下にあるライオンの像は、無名戦士の墓なんだって。

ブルガリア正教の総主教の宮殿

ブルガリア正教の総主教の宮殿(ソフィア) 上の聖ソフィア大聖堂の向かいにあるのが、ブルガリア正教の総主教の宮殿(右の画像)だ。

書いてしまえばそれまでなんだけど、ここで悩んだのが「総主教」か「大主教」か。どうやら、その違いはとっても大きいみたいなんだ。

ブルガリア教会がコンスタンティノープルの総主教の支配下にあるときは「大主教」で、独立的な立場にあるときは「総主教」みたい。

(どっかの会社の役職名みたいやけどな。どっちでも良さそうで、間違えたらイカンわけか。)

例えば、12世紀に第二次ブルガリア帝国が成立したときには、ブルガリア人の修道士をブルガリア正教の「総主教」に叙階し、その総主教からブルガリア皇帝として戴冠を受けたりしているんだ。

キリスト教もなかなか難しい...

キリスト教がカトリックとプロテスタントと正教に分けられることは知っているよね。でも、その中にも様々な宗派があるみたい。カトリックの中心がイタリア首都ローマのヴァティカンにあることは知っていても、それ以外のことってあまりよくわからないよね。

正教だって、ギリシャ正教、ロシア正教、グルジア正教、そしてブルガリア正教などと別れていて、それをゴッチャにするとエライことになるんだ。

例えば、ブルガリアがオスマン・トルコの支配下にあった18世紀の前半には、ブルガリア教会はギリシャ正教の首長であるコンスタンティノープル総主教の支配下にあった。その結果、ブルガリア国内の教会組織の幹部はギリシャから派遣されていたわけだ。しかし、1838年には反発するブルガリア人とギリシャ人僧侶との間に衝突まで起こったんだ。

礼拝などをギリシャ語で執り行うのか、それともブルガリア語か。聖書の文字はギリシャ語か、それとも地元の文字か。そんなことも背景にあるみたいだけどねえ。

話は飛ぶけど、旧ソ連の崩壊後に独立国になった黒海沿岸の国グルジア。この国の人々も独自のグルジア正教を信じているんだけど、ブルガリア正教と似たような問題を持っていた。グルジアがロシアの支配下に入ると、グルジア教会はロシア正教の総主教の支配下に入り、国が独立を回復するとグルジア正教も独自の地位を得たわけだ。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索


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