東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
春のブルガリア
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(敢えて火中の栗を拾うような旅行やな。) | |
うん、家内もビビりまくりだよ。私もちょっとビビッてるけどね。(念のために書いておきますが、ここでの話は1997年当時のものです。今は状況は改善して...いることを望みますが。) |
直ちにソフィア市内観光、まずは聖ソフィア大聖堂へしかし、フライトだけで疲れたなんて言わせてくれないのが、ツアーの良いところでもあり、辛いところでもあるよね。空港からバスに乗って出発し、ホテルに入ることもなく、ソフィア市内観光が始まるわけだ。まずは現在のブルガリアの首都ソフィアの街の名前の元になった聖ソフィア大聖堂(右の画像)。 これが実は由緒ある教会だったりする。5世紀にフン族がブルガリアに侵入し、現在のソフィアの街を破壊した。そのソフィアの街を再建したのが6世紀のビザンチン皇帝ユスティニアヌス。その再建の際に、この聖ソフィア大聖堂の最初の建物が建てられている。 ちなみに右の画像の左下にあるライオンの像は、無名戦士の墓なんだって。 ブルガリア正教の総主教の宮殿上の聖ソフィア大聖堂の向かいにあるのが、ブルガリア正教の総主教の宮殿(右の画像)だ。書いてしまえばそれまでなんだけど、ここで悩んだのが「総主教」か「大主教」か。どうやら、その違いはとっても大きいみたいなんだ。 ブルガリア教会がコンスタンティノープルの総主教の支配下にあるときは「大主教」で、独立的な立場にあるときは「総主教」みたい。
例えば、12世紀に第二次ブルガリア帝国が成立したときには、ブルガリア人の修道士をブルガリア正教の「総主教」に叙階し、その総主教からブルガリア皇帝として戴冠を受けたりしているんだ。 キリスト教もなかなか難しい...キリスト教がカトリックとプロテスタントと正教に分けられることは知っているよね。でも、その中にも様々な宗派があるみたい。カトリックの中心がイタリアの首都ローマのヴァティカンにあることは知っていても、それ以外のことってあまりよくわからないよね。正教だって、ギリシャ正教、ロシア正教、グルジア正教、そしてブルガリア正教などと別れていて、それをゴッチャにするとエライことになるんだ。 例えば、ブルガリアがオスマン・トルコの支配下にあった18世紀の前半には、ブルガリア教会はギリシャ正教の首長であるコンスタンティノープル総主教の支配下にあった。その結果、ブルガリア国内の教会組織の幹部はギリシャから派遣されていたわけだ。しかし、1838年には反発するブルガリア人とギリシャ人僧侶との間に衝突まで起こったんだ。 礼拝などをギリシャ語で執り行うのか、それともブルガリア語か。聖書の文字はギリシャ語か、それとも地元の文字か。そんなことも背景にあるみたいだけどねえ。 話は飛ぶけど、旧ソ連の崩壊後に独立国になった黒海沿岸の国グルジア。この国の人々も独自のグルジア正教を信じているんだけど、ブルガリア正教と似たような問題を持っていた。グルジアがロシアの支配下に入ると、グルジア教会はロシア正教の総主教の支配下に入り、国が独立を回復するとグルジア正教も独自の地位を得たわけだ。
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