東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
春のブルガリア
東欧(1997年5月)
ブルガリアの歴史
09. オスマン・トルコによる支配
- 1362年、ムラト1世治下のオスマン・トルコがアドリアノープルを確保。以後、トラキアにおいて領土を拡大していく。
オスマン・トルコの兵士達
オスマン・トルコの兵士達は、右の画像にあるような格好をしていただろうか。
右の画像はトルコで買った行進曲のCDに印刷されていたもの。
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- 1365年、ハンガリー王ラヨシュ1世がブルガリアに侵攻。ブルガリア帝国の皇太子イヴァン・ストラツィミルが捕虜となった。
- 1371年、オスマン・トルコ軍がブルガリアに侵攻。敗れたブルガリアはオスマン・トルコに臣従し、貢納の義務を負った。
- 1378年、オスマン・トルコがブルガリアとの条約を破り、北西部に侵攻。ソフィアがオスマン・トルコによって占領された。
- 1388年、オスマン・トルコがブルガリア東部を占領。
- 1389年、コソヴォの戦いにおいてオスマン・トルコ軍が勝利。セルビア王国やボスニア王国もオスマン・トルコに臣従せざるを得なくなった。
- 1395年、ワラキア公ミルチャ老公はハンガリー王国の支援を得てオスマン・トルコと戦ったが敗北。
- 1396年、第二次ブルガリア帝国の全ての領土がオスマン・トルコの支配下に入り、ブルガリア帝国が消滅した。
- 1404年、ブルガリア西部でオスマン・トルコに対する反乱が起こった。
- 15世紀、トルコ人によってカザンラクの街が建設された。カザンラクの街は、今ではバラのエッセンシャル・オイルの生産地として著名である。
- 1598年、タルノヴォでオスマン・トルコに対する反乱が起こった。
- 17世紀、トルコからバラの栽培が導入された。バラはカザンラク周辺の谷間で盛んに栽培され、その地は今では「バラの谷」と呼ばれている。
ブルガリアのバラの谷
右の画像は、ブルガリアのバラの谷で見かけたピンクのバラの花。
私がこの地を訪れた時(1997年)には、バラのオイルの生産は減退していたようだったが、その後は回復しただろうか...。
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- 1686年、タルノヴォでオスマン・トルコに対する反乱が起こった。
- 1688年、チプロフツィでオスマン・トルコに対する反乱が起こった。
関連書籍
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