東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
春のブルガリア
東欧(1997年5月)
ブルガリアの歴史
08. モンゴルの侵攻とブルガリアの分裂
- 1241-1242年、モンゴル軍がヨーロッパに侵入。ブルガリア帝国はキプチャク汗国の宗主権を認めることを余儀なくされた。
- 1246年、ビザンチン帝国の流れを汲むニケーア帝国軍がブルガリア帝国に侵攻し、ソフィアを占領した。
- 1247年、ブルガリア帝国とニケーア帝国との間で講和が成立した。
- 1261年、ニケーア帝国皇帝ミカエル8世パレオロゴスがコンスタンティノープルを征服し、ビザンチン帝国を復興した。
- 1277年、内紛が続くブルガリア帝国で反乱が起こり、皇帝軍は反乱軍に敗れ、皇帝コンスタンティン・ティフが殺害された。
以後、ブルガリアの皇室は分裂・抗争を繰り返し、地方領主は自立化し、帝国の勢力は衰退した。
- 1285年、キプチャク汗国の軍による侵攻を受け、ブルガリア帝国は臣従を余儀なくされた。以後、ブルガリア帝国の皇帝はキプチャク汗国の傀儡となる。
- 1299年、キプチャク汗国内部の争いによってノガイ汗が殺され、その子チャカがブルガリアに亡命してきた。チャカはブルガリアにおいて帝位を得た。
- 1300年、ブルガリア皇帝チャカが殺害され、ブルガリア貴族トドル・スヴェトスラフが皇帝となった。
- 1330年、ブルガリア帝国軍がセルビア王ステファン・デチャンスキの軍に破れ、ブルガリア皇帝ミハイル・シシマンが死去。
- 1331年、ブルガリア帝国の皇帝イヴァン・アレクサンダルは、キプチャク汗国の支援を得て、ビザンチン帝国に侵攻。ブルガリア南部の領土を奪還した。
しかし、ブルガリア帝国内の地方勢力はますます自立化傾向を強め、実質的に帝国の解体が進みつつあった。
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