東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
春のブルガリア
東欧(1997年5月)
ブルガリアの歴史
10. ブルガリアの再生
- 1762年、ヒランダル修道院の修道士バイシイ・ヒレンダルスキによって「スラヴ・ブルガリア史」が著わされた。この書物はブルガリアの人々の愛国心を目覚めさせるものとなった。
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1768-1774年、オスマン・トルコとエカテリーナ大帝(右の画像)治下のロシアとの戦い。ブルガリア人はロシアに希望を持つようになった。
- 18c末、山中に拠点を置くハイドゥティ(あるいは、ハイドゥク、山賊)組織が豊かなトルコ人を襲った。
- 1804年、セルビアで蜂起が始まった。多くのブルガリア人が義勇兵として参加した。
- 1821年、ギリシャ独立戦争が始まった。多くのブルガリア人が義勇兵として戦った。
- 1828-1829年、オスマン・トルコと戦うロシア軍がブルガリアに兵を進めた。多くのブルガリア人が義勇兵としてロシア軍に参加した。
- 1835年、最初のブルガリア語の学校が創設された。
- 1838年、ギリシャ人主教とブルガリア人との間で衝突が起こった。
- 19c半、土地改革に対する不満から、ブルガリアの農民達による反乱が頻発した。
- 1853-1856年、オスマン・トルコとロシアが戦った。ロシアの勝利に期待するブルガリアでは、多くの人々がロシアに協力した。しかし、西欧列強の干渉によりロシアが敗北し、ブルガリアの人々を失望させた。
- 1856年、ロシアの奨学制度により、多くのブルガリア人にロシアでの教育の機会が与えられた。
- 1860年、ブルガリア教会のコンスタンティノープル総主教からの独立が宣言された。
- 1866年、クレタ島でオスマン・トルコに対する反乱が始まった。
- 1968年、ブルガリア解放を目指す「ブルガリア最高人民司令部」がブルガリア国内に送り込んだ武装部隊がオスマン・トルコ軍によって壊滅。
- 1870年、オスマン・トルコ政府によってブルガリア教会のコンスタンティノープル総主教からの独立が認められた。
- 1875年、ブルガリアにおける反オスマン・トルコ蜂起が失敗。
- 1876年、ブルガリア国内での反オスマン・トルコ蜂起が失敗し、多くのブルガリア人が虐殺された。
その結果、ヨーロッパで反トルコ感情が高まり、ロシアのトルストイやイタリアのガリバルディなどがオスマン・トルコに抗議した。
イタリア統一の英雄ガリバルディ
当時サルディニア王家(後にイタリア王家)の領地だったニースで生まれたガリバルディは、ハプスブルク家などの支配下に分割されていたイタリアの統一の英雄となった。
彼はまた、19世のヨーロッパにおいて、他民族の支配下にあった民族の解放の英雄でもあった。
右の画像は、サン・マリノ共和国に立つガリバルディの胸像。
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