ニームに残る古代ローマ帝国時代の円形闘技場昨日はポン・デュ・ガールの古代ローマ帝国時代の水道橋を見てから、ニームに到着。そのニームでショッピングに歩いてから、レストランで食事をしたんだ。そして今日はこの旅の三日目。短い旅も残るは今日と明日の二日間だけとなってしまった。しかも、まだまだ見たい場所がたくさんあるんだ。忙しい旅だね。
このニームなんだけれども、まずは古代ローマ帝国時代の円形闘技場(上の画像)が代表的な見どころかな。1世紀の後半に建てられたというこの円形闘技場は楕円形をしているんだけれども、長径は 133メートルというから、アルルの円形闘技場よりもわずかに小さいくらいかな。
ちなみに、イタリアの首都ローマに残る円形闘技場(コロッセオ)の最大長径は 188メートルなんだそうな。さすがに古代ローマ帝国の首都に築かれた円形闘技場だね。
ニームの歴史フランス南部プロヴァンス地方の古い街には共通しているんだけれども、かつてのニームは古代ギリシャ人が定住して発展したマルセイユに従属的な立場にあった。ところが、古代ローマ帝国の政権を争ったカエサル(シーザー)とポンペイウスが戦った際、ポンペイウスの側に立ったマルセイユは衰え、カエサルの側に立ったニームは繁栄することになったんだ。その後、古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの時代には、このニームの街がこの地域の中心都市とされた。それを契機にニームの街は更に繁栄したんだそうな。 ちなみに、ニームという街の名前は、元々はネマウススという泉の神の名前から来ているらしい。街にはかつて泉があり、そのほとりには泉の神ネマウススの神殿が建てられ、街はネマウススと呼ばれた。その名前が二千年の間にニームとなったらしい。 ところで、昨日の午後に見て歩いたポン・デュ・ガール 古代ローマ帝国時代の水道橋なんだけど、このニームの街に水を供給するために築かれたものだった。元から街にあった泉の水だけでは発展したニームの街の水の需要を充たすことが出来なくなって、水道橋が必要になったということなんだろうね。
そんなこんなで発展したニームの街からは、古代ローマ帝国皇帝アントニウス・ピウスなども生まれている。ところが、4世紀になると近くにあるアルルの街に繁栄が奪われ始めたらしい。そして西ローマ帝国の滅亡に先立つ西暦473年、このニームの街はゲルマン系の西ゴート族によって占領されたんだそうな。 ニームの円形闘技場で人気の闘牛そんなニームの街で円形闘技場は破壊されることもなく保たれてきたのは、アルルの円形闘技場と同じく、有り難いことだよね。とはいえ、西ゴート族が侵入して以後のニームの円形闘技場は、周囲に堀がめぐらされて、要塞となっていたんだそうな。その後は円形闘技場の中に住居が設けられ、貧しい人々が住み着いていたらしい。小さな礼拝堂も設けられていたらしい。そして19世紀後半に入って、円形闘技場の修復が始まったんだそうな。
そんなニームの円形闘技場で人気のイベントが、アルルと同様に闘牛なんだそうな。但し、スペインの闘牛とは違ってニームやアルルの闘牛では牛が殺されることはないらしいけどね。(上の画像は円形闘技場の近くで見た闘牛の像。)
ニームから並木道を走って次の目的地へニームの街にはまだまだ見たいものがたくさんあるんだけど、今日はまず他に行く予定にしているんだ。というわけで、ニームの街からバスに乗って出発する。
上の画像はバスの最後尾の座席から振り返って撮影したものなんだけど、とっても素晴らしい並木道を走って向かったのは、中世の歴史を凝縮したような岩山の街 レ・ボー・ド・プロヴァンスなんだ。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|