東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「春のプロヴァンス (フランス)」

15. ニームのメゾン・カレとフォンテーヌ庭園

ニームの街に残る古代ローマ帝国時代の神殿メゾン・カレ

今朝ニームを出発してから一日かけて欲張りにあちこち見て周った。というわけで、ニームの街に戻ってきた時には既に夜になっていたんだ。

フランス南部ラングドック地方の町ニームにあるメゾン・カレ

でも、このニームの街で見ておきたいものがある。というわけで夜のニームを歩いてやってきたのが、上の画像にある古代ローマ帝国時代の神殿メゾン・カレだった。

皇帝アウグストゥスの孫たちを祀ったメゾン・カレ

この古代ローマ帝国時代の神殿メゾン・カレ(下の画像)なんだけど、紀元前19年に建立されたらしい。古代ローマ帝国時代の神殿の中でも、最も保存状態の良い神殿の一つなんだそうな。

フランス南部ラングドック地方の町ニームにあるメゾン・カレ

私が持っている資料の一つには、このメゾン・カレは古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの孫にして若くして亡くなった二人を祀った神殿だとある。でも、果たして信じてよいのかな。サン・レミにあるグラヌムの遺跡に立つ死者記念塔もかつては皇帝アウグストゥスの孫二人の為のものとされていたけど、最近の学説では否定されているみたいなんだけどね。

このニームのメゾン・カレに祀られているとされる二人の母親は、皇帝アウグストゥスの娘ユリアだった。彼女の前夫が紀元前23年に亡くなり、再婚した相手が皇帝アウグストゥスの友人にして副官だったアグリッパだった。そのアグリッパがこの神殿に祀られている二人の父親だった。

ちなみに、そのアグリッパはこのニームの街に水を供給するポン・デュ・ガールの水道橋を築いたとも言われているね。異説もあるけど。そのアグリッパが亡くなったのが紀元前12年のこと。この神殿メゾン・カレが築かれたのは紀元前19年と考えられている。

そんな古代ローマ帝国時代のメゾン・カレなんだけど、周囲にはホームレスらしい人影もちらほら。夜だし、暗いし、ニームの街がとりわけ治安が良いとも見えないし、そろそろ退散するかな。というわけで、そのあたりで夕食を済ませてホテルに戻った。

ニームにあるフォンテーヌ庭園

というわけで、ニームのホテルで泊まった翌朝のこと。まずはホテルのレストランでコンティネンタル・ブレックファスト。フランスのパンもチーズもジャムもフルーツも美味しいよね。

でも、私はそろそろロンドンで食べるイングリッシュ・ブレックファストが恋しくなっている。今日は午後の飛行機でロンドンに戻る予定になっているんだけど、明日の昼は職場のある金融街シティあたりのパブでイングリッシュ・ブレックファストだな。

フランス南部ラングドック地方の町ニームにあるフォンテーヌ庭園

今日はマルセイユに移動する予定なんだけど、朝の時間がちょいと余った。というわけで、散歩したのがニーム市内にあるフォンテーヌ庭園(上の画像)なんだ。18世紀に造られたものなんだそうな。

ニームにある古代ローマ帝国時代のディアナ神殿

といっても、散歩のお目当てはフォンテーヌ庭園じゃなかった。その隣にあるディアナ神殿(下の画像)を見に来たんだ。

フランス南部ラングドック地方の町ニームにあるフォンテーヌ庭園の隣にあるディアナ神殿

このディアナ神殿は本来は2世紀に建てられた浴場だったらしい。その浴場に併設して、劇場や神殿もあったんだそうな。古代の総合レジャー・センターというところかな。

ちなみに、イギリスのバースにも総合レジャー・センターがあったんだけど、古代ローマ帝国は首都ローマをはじめとして、あちこちにそんな施設を造っていたんだね。だから大帝国が崩壊したのか、あるいはだからこそ大帝国を築くことが出来たのか。


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