東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「春のプロヴァンス (フランス)」

18. マルセイユを歩いた

港町マルセイユの海辺を散歩

丘の上のノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院から港町マルセイユの風景を眺め、海辺のレストランで名物料理ブイヤベースを食べた。でも、まだ時間がある。今日の夕方の飛行機でロンドンに帰る予定なんだけど、空港に行くにはまだちょいと早いよね。というわけで、しばしマルセイユを散歩。

フランス南部プロヴァンス地方の港町マルセイユの砂浜

今日は天気も良いし、海辺の散歩が心地良い。まだ4月だからか、砂浜も静かだね。夏には多くの人々で混むんだろうな。といっても、観光地ニースと違ってマルセイユは商業都市なんだけどね。

マルセイユの海辺に立つ戦没者記念碑

マルセイユの海辺には、戦没者の記念碑(下の画像)も立っていたよ。

フランス南部プロヴァンス地方の港町マルセイユの海辺にある戦没者の記念碑

残念ながら私が理解できる日本語・英語の資料が乏しくて、詳しいことはわからなかったんだけど、第1次世界大戦において東方のオリエントで亡くなった戦没者と英雄の方々の為の記念碑なんだそうな。このマルセイユは、東方のオリエントに開かれたフランスの玄関だったからね。

マルセイユのロンシャン宮

海辺からマルセイユ市内に戻り、歩いたのはロンシャン宮だった。このロンシャン宮(下の画像)は、19世紀後半に築かれたんだそうな。

フランス南部プロヴァンス地方の港町マルセイユのロンシャン宮

19世紀後半といえばフランス皇帝ナポレオン3世の時代、フランスのあちこちで建設工事・土木工事が行われた時代だね。ナポレオン3世とセーヌ県知事オスマンのコンビでフランスの首都パリも大改造された。ブローニュの森が完成し、オペラ座(オペラ・ガルニエ)の建設も始まった。

今のシテ島のノートルダム大聖堂の周辺などにあった貧民街なども取り壊された。そのおかげで貧乏な芸術家たちが安い家賃を求めてパリの北のモンマルトルの丘に集まり、モンマルトルが画家の街になったわけだ。

西暦1860年にはサルディニア王家(後の統一イタリア王国の王家)に帰属していたニースがフランスに割譲され、パリとの間に鉄道が建設された。このマルセイユのロンシャン宮もそんな時代の雰囲気の中で建設されたんだろうね。でも、西暦1871年には普仏戦争でフランスが敗北して、明るい建設的な空気が吹き飛ばされるんだけど。

マルセイユ空港からロンドン

さて、時間だ。バスに乗ってマルセイユ空港に到着したのは16時前だった。チェック・インを済ませ、荷物を預けて、免税店で買い物だ。といっても、マルセイユ空港の免税店は小さくて、大したものは買えなかった。期待していたワインも興味を引くものは無かったね。基本的にフランスの地方空港の免税店での買い物は期待しない方が良いみたい。リヨンの空港もそうだったけどね。

ロンドン郊外のガトウィック空港に到着したのは、イギリス時間で19時半(フランス時間で20時半)だったかな。ガトウィック・エクスプレスの列車でロンドン市内のヴィクトリア駅まで行き、そこからタクシーに乗って、帰宅したのは21時だった。

とっても忙しい欲張りな四日間の旅だった。古代ローマ帝国のカエサル(シーザー)風に表現すれば、「来た、見た、食った(そして、飲んだ)」という旅だったね。

明日は朝からロンドン市内の金融街シティにあるオフィスに出社だ。年度末の決算処理もあり、とっても忙しくなる。でも、お昼にはオフィスの近くにあるパブイングリッシュ・ブレックファストを食べるんだ。もう、それを食べたくてね。フレンチも大好きなんだけどね。


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