コルマールのサン・マルタン教会そしてコルマールが神聖ローマ帝国の帝国自由都市となって数年後の西暦1234年に着工され、西暦1365年に完成したサン・マルタン教会の入り口の彫刻が下の画像なんだ。
このサン・マルタン教会は今も教会として使われているんだけど、メーデーの祝日でも中に入ることが出来たよ。ウンターリンデン美術館も、今では図書館となっているドミニカン教会も、修道院や教会のままであれば祝日でも入ることが出来たんだろうね。
コルマールのプフィステル館そして下の画像はコルマールにあるプフィステル館。帽子屋さんが建てた家なんだそうな。建てられたのが西暦1537年というから、プロテスタントの指導者ジャン・カルヴァンがストラスブールにやって来る前の年の建物というわけだね。
資料によれば、このコルマールのプフィステル館は宮崎駿監督の映画「ハウルの動く城」のモデルになったとか ・・・ 。私はその映画を観ていないんだけどね。
コルマールの旧税関下の画像の建物は、コルマールの旧税関だったそうな。中央正面の建物は西暦1480年に建てられたんだそうな。
コルマールはアルザス地方のワイン取引の中心だったから、輸出されるアルザス・ワインの関税などがここで徴収されたりしたのかもしれないね。
コルマールの旧市街の古い家々そんなこんなで15世紀から16世紀にかけて建てられた家々がいくつも残るコルマールなんだけど、下の画像がそのコルマールの旧市街の様子なんだ。まさに中世の雰囲気そのままって感じだよね。(中世に行ったことはないけど ・・・。)
しかし、このコルマールにこんな古い家々がよく残っていたもんだと感心するんだ。というのも、コルマールにしてもアルザス地方にしても、何度も何度も戦火に巻き込まれ、むしろ平和とは縁遠い土地だったからね。
コルマールの財宝西暦1863年、コルマールの古い家の壁の中から、金銀・宝石・指輪、銀貨、銀の食器など(「コルマールの財宝」)が発見された。これが中世のユダヤ人虐殺に関係するものだった。西暦1347年にフランス南部プロヴァンス地方のマルセイユに上陸したペスト(黒死病)はやがて各地に伝染していった。恐怖に怯えた人々の中には、ユダヤ人が毒を水に入れたという騒ぎも起きた。そしてユダヤ人の排斥・虐殺に至ったらしい。 他方で不安に陥ったユダヤ人は、家の壁の中に財宝を隠した。その財宝はそのまま忘れ去られ、やがて19世紀に発見されたというわけだ。そのコルマールの財宝を隠したユダヤ人の家族がどうなったのかは資料には書かれていないんだけど ・・・ 。
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