東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「夏のプロヴァンス」 (フランス)

エクサン・プロヴァンス、ラヴェンダー、ヴァレンソール、ムスティエ、セナンク、ゴルド、マルセイユ

16. マルセイユの風景

マルセイユを丘の上から眺めた

丘の上のノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院を見終えたら、再び外に出る。寺院は海抜 162メートルの丘の上に建てられたんだけど、そこから眺めたマルセイユの風景が下の画像なんだ。

フランス南部プロヴァンス地方の街マルセイユを丘の上から眺めた風景

上の画像の左上部分に見えている地中海から、マルセイユの街を経て、様々なものや人々がフランスに入って来たわけだね。

紀元前7世紀には、イタリアに栄えた古代エトルリア人も来た。次いで、イタリア南部にポセイドニア(今のパエストゥム)ナポリ(当時はネアポリス)を築いた古代ギリシャ人もマルセイユに来た。そしてここから古代ギリシャ人たちはモナコやカタルーニャ地方(その州都がバルセロナ)などへ広がっていったんだ。その次に来た古代ローマ人は陸路で来たんだろうね。

西暦1347年には、イタリアのジェノヴァの船からペスト(黒死病)がマルセイユに上陸した。マルセイユでは、住民の 6割以上がペストで命を失ったらしい。そしてペストは、翌年にはエクサン・プロヴァンス(エクス)ムスティエ焼きの産地ムスティエ・サント・マリーの村にも広がり、更にフランスの首都パリを経て各地に広がっていったんだ。

西暦1533年には王太子(後のフランス王アンリ2世)とカトリーヌ・ド・メディチとの結婚式もマルセイユで行われている。やがて摂政となった王妃カトリーヌの下で宗教戦争が激化し、サン・バルテルミーの虐殺が起こり、ブルボン家のアンリ4世のフランス王即位へと至るんだけどね。ついでながら、そのフランス王アンリ4世の再婚相手のマリー・ド・メディチもマルセイユからフランスに入っているね。

そういえば、後にフランス皇帝となるナポレオンも、このマルセイユに上陸したんだ。彼はフランス革命後の一時期、故郷のコルシカ島で独立運動に関わったことがあったらしい。でも、フランス革命により強い魅力を感じ、一家をあげてコルシカ島を脱出し、マルセイユに上陸したのが西暦1793年のこと。その2年後には首都パリで王党派の暴動を鎮圧して、更に出世していくわけだ。

港町に上陸する人々もいれば、船に乗り込む人々もいる。西暦1873年7月、この港で船に乗り込んだ人々の中には、日本の岩倉使節団もいた。2年近くにわたってアメリカやヨーロッパ各国を巡り、ようやく帰国の途に着いたわけだ。ここからナポリ、スエズ運河、シンガポール、香港、上海、長崎、神戸などを経て、横浜港に帰り着いたのは9月のことだった。

マルセイユの沖にあるディフ島(イフ島)の要塞・監獄

前のページでも書いたけど、ハプスブルク家の皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)の宿敵フランス王フランソワ1世が西暦1516年にマルセイユを訪れ、守りを強化すべきことを考えた。そして築かれたのが、マルセイユの港の 2kmほど沖にあるディフ島(イフ島)の要塞だった。(下の画像の中の青い矢の先に見えている。)

フランス南部プロヴァンス地方の街マルセイユの沖のディフ島(イフ島)などを丘の上から眺めた風景

そのディフ島の要塞は後に監獄として使われたんだけど、その中に囚われていた人物の中でも最も有名なのが、モンテ・クリスト伯爵かな。(モンテ・クリスト伯爵は実在の人物ではなく、アレクサンドル・デュマ・ペールの小説の主人公だけどね。)

ついでながら、このモンテクリスト伯の姓はダンテスとなっている。これは19世紀半ばにフランスで盛んに読まれていた叙事詩「神曲」の詩人ダンテから取られたものと考えられるそうな。

話は変わるけど、第二次世界大戦中に自由フランス軍の偵察機を操縦していたサン・テグジュペリ(小説「星の王子さま」の作家)は、このマルセイユの沖の地中海に墜落したんだそうな。マルセイユの漁師の網には彼のブレスレットがかかったこともあるらしいよ。

夏のマルセイユの海辺

そして下の画像はマルセイユの海水浴場の様子。日本の都会に近い海水浴場と比べれば、まだ空いているかな。でも、さすがにフランス第2位の大都会マルセイユの海水浴場だけあって、かなりの混み具合だね。

フランス南部プロヴァンス地方の街マルセイユの海水浴場

今日は晴天の日曜日だし、気温は34度もあったし、海にはいりたくなる気持ちはよくわかるよ。

再びマルセイユの沖合いのディフ島(イフ島)

そろそろマルセイユにもお別れの時間なんだけど、最後にバスの中から眺めたマルセイユの沖合いのディフ島(イフ島)の様子が下の画像。

フランス南部プロヴァンス地方の街マルセイユの沖のディフ島(イフ島)などを眺める

この後、バスはマルセイユ市内を出て空港へ向かった。その空港で私たちは最後の買い物。そしてヒースロー空港に降り、ロンドン市内の自宅に戻ったわけだ。2泊3日の旅行はあっという間に終わってしまった。でも、ラヴェンダーの花が満開の夏のプロヴァンスを満喫できたね。




プロヴァンス、ちょいと補足

フランス南部プロヴァンス地方には、その他にも色々と見所があるよね。例えば、古代ローマ帝国時代に建設された水道橋 ポン・デュ・ガール。それから、岩山の村の上にそびえる中世の古城が印象的なレ・ボー。これらについては、別の旅行記「春のプロヴァンス(フランス)」を参考に。

更には、ニースエズ教皇庁が置かれたアヴィニョン、フランス国内じゃないけどニースからも近いモナコ大公国とか ・・・ 。フランス南部プロヴァンス地方あたりには、もっともっと魅力があるよね。


旅行記 「パリに住んだ ・・・ つもりの 9日間(フランス)」を見る



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