東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ ・・・ つもりの 9日間 (フランス)

パリからロワール、ノルマンディー、シャルトルまで

17. カーンの男子修道院 (ノルマンディー)

カーンにある男子修道院のサン・エティエンヌ教会

ノルマンディー公ウィリアム(イングランド征服王ウィリアム1世)が築いたカーン城から西へ1kmほど歩けば、かつての男子修道院に着く。

フランス北部ノルマンディーの街カーンにある男子修道院のサン・エティエンヌ教会

上の画像は、その男子修道院に付属していたサン・エティエンヌ(聖エティエンヌ)教会なんだ。

ノルマンディー公ウィリアムが創設した男子修道院

この男子修道院も、カーン城と同じく、ノルマンディー公ウィリアムによって創設されたらしい。ノルマンディー公ウィリアムは縁続きのマチルダと結婚したことによって、ローマ・カトリックの禁じる親族結婚をしたとされ、ローマ教皇によって破門されてしまった。その贖罪の為に創設したのが、この男子修道院だった。

フランス北部ノルマンディーの街カーンにある男子修道院のサン・エティエンヌ教会の内部

ちなみに、この男子修道院の修道院長にランフランクという人物がいた。イングランド征服王ウィリアム1世は西暦1070年にはそのランフランクイングランド南部にあるカンタベリー大聖堂の大司教としている。ウィリアム征服王としては、新たな領地イングランドの教会組織を委ねるには、本拠地だったカーンの修道院長が適任だったんだろうね。

男子修道院とサン・エティエンヌ教会のその後

そして西暦1087年、イングランド征服王ウィリアム1世が亡くなり、その遺骸は故地ノルマンディーのカーンにある男子修道院のサン・エティエンヌ教会に葬られた。(ちなみに、イングランド王としてはウィリアム2世が即位し、ロバートがノルマンディー公となった。)

ところが、16世紀の宗教戦争の時代、サン・エティエンヌ教会にあったノルマンディー公ウィリアム(イングランド王ウィリアム1世)の墓は、新教徒たちによって破壊され、その遺骨も捨てられてしまったらしい。

フランス北部ノルマンディーの街カーンにある男子修道院の建物は今は市庁舎

更にフランス革命の後には修道院などの財産が没収されたんだけど、このカーンの男子修道院も廃止されてしまった。そして、上の画像にある男子修道院の建物は、今では市庁舎として使われているんだそうな。

マチルダが創設した女子修道院

ノルマンディー公ウィリアムが創設した男子修道院を見たら、次は公妃マチルダが創設した女子修道院を見よう。と思ったんだけど、もう時計は16時を指している。そろそろ駅に戻らないとまずいね。

というわけで、タクシーを捜した。でも、空車は見つからず。結局のところ、駅まで 2km ほどを歩いてしまった。途中でちょいと怪しげな連中がたむろしていて、不気味だったかな。イタリアのミラノでジプシーに襲われた経験があるものだから、時に警戒過剰になっちゃうんだよね。

ちなみに、マチルダが創設した女子修道院なんだけど、こちらも既に廃止されており、その建物は今は地方議会の議事堂になっているんだそうな。私たちは見に行く時間が無くなっちゃったけど。


次のページは 「18. ノルマンディーの風景」



ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2000 - 2012 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。