征服王ウィリアム1世が築いたカーン城カーン駅から北西に向かって歩けば、1kmあまりでサン・ピエール教会に着く。そのすぐ北側にあるのが、カーン城なんだ。![]()
上の画像がサン・ピエール教会近くから眺めたカーン城なんだけど、西暦1060年頃にノルマンディー公ウィリアム(後のイングランド征服王ウィリアム1世)が築いた城なんだそうな。
ノルマンディーの要衝だったカーン城その後もカーン城はフランス北部ノルマンディー地方の中心だったみたい。西暦1182年にはプランタジネット家のイングランド王ヘンリー2世は、息子たち、後のイングランド王リチャード獅子心王やジョン失地王を従えて、このカーン城で千人以上もの騎士たちを謁見したらしい。![]()
西暦1204年にはカーン城はイングランド王リチャード獅子心王が築いたガイヤール城を攻略したフランス王フィリップ2世尊厳王(オーギュスト)に開城した。そのフランス王フィリップ2世がカーン城を強化したんだそうな。(上の画像はカーン城の城門の様子。)
その後もフランスとイギリスが戦った百年戦争において、このカーン城を舞台に幾度か戦火が交えられたんだそうな。
カーン城とフランス革命・第二次世界大戦そんな歴史あるカーン城なんだけど、フランス革命から間もない西暦1793年には、天守(キープ)が破壊されちゃったらしい。![]()
そして第二次世界大戦も終わり近い西暦1944年、砲撃や爆撃などによってカーン城は更に破壊されてしまったんだそうな。でも、上の画像に見るように、今もカーン城の城壁は街を威圧しているんだけどね。
ノルマンディー上陸作戦とカーンの街上にも書いたけど、このカーンの街は第二次世界大戦で甚大な被害を受けている。というわけで、下の画像に見るような古い家はカーンでは珍しいみたい。![]()
西暦1944年6月6日、あの有名な、ノルマンディー上陸作戦が始まった。あのバイユー・タペストリーのあるバイユーの街は、ドイツ軍の守備が手薄だったこともあって、イギリスなどの連合国軍があっさりと占領したらしい。
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