ガイヤール城の天守 キープガイヤール城の全体を遠望したら、次はその城の中を歩こう。
目指したのは、ガイヤール城の中枢ともいうべき天守 キープ、それが上の画像なんだ。
フランス王フィリップ2世(尊厳王)とガイヤール城武勇で名高いイングランド王リチャード獅子心王が西暦1199年に亡くなった後、イングランド王国とノルマンディー公国を継承したのは、弟のジョン失地王だった。対するフランス王フィリップ2世(オーギュストあるいは尊厳王)は西暦1202年から攻勢をかけた。そしてフランス王フィリップ2世は西暦1203年にはガイヤール城を攻囲した。でも、守勢のイングランド王ジョン失地王は援軍を送ることも出来なかったらしい。
そして西暦1204年、ついにノルマンディー防衛の要だったガイヤール城の守備兵たちがフランス軍に降伏した。これでフランス王の艦隊は、パリからセーヌ川を下ってノルマンディーに攻め込むことが出来る。 ガイヤール城と百年戦争、その後百年戦争中はガイヤール城はフランスとイングランドの争奪戦の的となった。西暦1419年にはイングランド軍がガイヤール城を落とし、イングランド王ヘンリー5世の居城となった時期も有った。その頃にはノルマンディーのほぼ全土がイングランド軍の支配下に落ちたらしい。ところが、西暦1430年にはフランス軍がガイヤール城を奪還。でも、西暦1431年にフランスのジャンヌ・ダルクが処刑されると、勢いを取り戻したイングランド軍がガイヤール城を再び奪還した。そして西暦1449年にフランス軍がガイヤール城を攻略し、それ以後はフランスの支配下にあったんだそうな。
百年戦争の後、西暦1573年にはガイヤール城は見捨てられ、荒廃していってらしい。そしてフランスの宗教戦争(ユグノー戦争)に勝ち残ったブルボン家のフランス王アンリ4世が、西暦1599年にガイヤール城の破壊を命じたんだそうな。ローマの教皇に従うカトリック勢力がガイヤール城にたてこもることを警戒したらしい。
ガイヤール城で雨そんな風にガイヤール城を歩き回っているうちに、雨が降ってきた。あいにくと傘を持っていない。でも、せっかく来たんだから、ガイヤール城をとことん見て歩かないとね。というか、そもそもここには雨を避ける場所も無いんだけどね。今日は家内がパリに残ったのは正解だったね。雨は降るし寒い。しかも、城にはトイレも無い。こんな場所に家内が来ていたら、絶対に体調を崩しただろうな。 ともかくガイヤール城を歩き回っているうちに何だか妙なものを踏みつけた。なんだろ。足許を見れば、巨大なナメクジだった。背筋が寒くなったよ。でも、雨にもナメクジにも負けず、ガイヤール城を歩き回る。
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