東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ ・・・ つもりの 9日間 (フランス)

パリからロワール、ノルマンディー、シャルトルまで

19. ガイヤール城 遠望 (ノルマンディー)

パリから鉄道とタクシーを乗り継いでガイヤール城

今日も昨日と同じくパリにあるフランス国鉄のサン・ラザール駅から列車に乗り込む。但し、今日は私一人なんだ。昨日の強行軍に疲れた家内は、パリでのんびりと買い物をして過ごすらしい。病み上がりの家内には、無理は禁物だからね。

今日の列車の行き先はヴァーノン。パリから北へ向かい、ノルマンディーの都ルーアンへ行く途中にある駅だ。昨日と違って今日はセカンド・クラスのチケットを買った。家内もいないし、一人で気軽な旅だからね。セカンド・クラスで十分だ。

そのヴァーノンの駅には 9時過ぎに到着。パリからの所要時間は1時間だった。駅前の広場でタクシーに乗り込む。行き先はガイヤール城だ。

タクシーの運転手は「帰りはどうするんだ ? 」と尋ねる。「帰りのことは何も考えてない。とりあえず今は片道で良いよ。ともかくガイヤール城まで行ってよ。」と答える私。が、しつこく帰りについて尋ねる運転手。くどいぞ。片道でエエって言うてるやんか。

でも、このタクシーの運転手は善意で言っていたんだ、と後で気づいたときには手遅れだった。今日の最初の目的地であるガイヤール城を歩き終えた後で気づいたんだけどね。私はフランス語を話せず、タクシーの運転手さんも英語が苦手 ・・・ というわけで意思の疎通がうまくいっていなかったからね。仕方ないかな。(その話は後のページで詳しく書くつもり。)

ノルマンディーの要衝ガイヤール城に到着

そのタクシーの運転手が私を降ろしたのが、丘の上の駐車場。なんやねん。片道でエエと言ったから、意地悪してこんなところに降ろしやがって ・・・ と私。口には出さなかったけど ・・・。

フランス北部ノルマンディーの要衝ガイヤール城を遠望

でも、それは私の思い違いだったみたい。その駐車場の端っこに立てば、イングランド王リチャード獅子心王が築いたガイヤール城の雄姿(上の画像)を堪能することが出来たんだ。なるほど、あのタクシーの運転手さん、ガイヤール城を眺めるのに最適の場所に降ろしてくれたんだな。いいやつだったんだ。

ノルマンディー防衛の要衝ガイヤール城

イングランド王リチャード獅子心王がセーヌ川とレザンドリの街を見下ろす高さ 90メートルの崖の上にガイヤール城を築き始めたのは西暦1196年のことだった。

フランス北部ノルマンディーの要衝ガイヤール城を遠望

このガイヤール城の北西 40kmにはルーアンの街があった。他方で、ガイヤール城から南東に 95kmにはフランス王の本拠パリがあった。リチャード獅子心王は、父のイングランド王ヘンリー2世から受け継いだノルマンディー公国の首都ルーアンを、フランス王フィリップ2世(オーギュストあるいは尊厳王)から守るために、このガイヤール城を築いたんだそうな。

イングランド王リチャード獅子心王とガイヤール城

リチャード獅子心王はガイヤール城に並々ではない情熱を傾けていた。巨額の費用をかけ、自ら設計し、しかも頻繁に現場に足を運び、工事関係者を督励したらしい。その結果、築城は例外的に早く進み、西暦1198年に完成したんだそうな。

フランス北部ノルマンディーの要衝ガイヤール城を遠望

リチャード獅子心王はイングランドの王でありながら、その首都であるロンドンで過ごすことは殆ど無かった。対して、このガイヤール城は彼の気に入りの場所になったらしい。でも、リチャード獅子心王がガイヤール城で過ごした歳月は短かった。戦いの際の矢傷により、リチャード獅子心王は西暦1199年に亡くなってしまったんだ。


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