パリから鉄道とタクシーを乗り継いでガイヤール城今日も昨日と同じくパリにあるフランス国鉄のサン・ラザール駅から列車に乗り込む。但し、今日は私一人なんだ。昨日の強行軍に疲れた家内は、パリでのんびりと買い物をして過ごすらしい。病み上がりの家内には、無理は禁物だからね。今日の列車の行き先はヴァーノン。パリから北へ向かい、ノルマンディーの都ルーアンへ行く途中にある駅だ。昨日と違って今日はセカンド・クラスのチケットを買った。家内もいないし、一人で気軽な旅だからね。セカンド・クラスで十分だ。 そのヴァーノンの駅には 9時過ぎに到着。パリからの所要時間は1時間だった。駅前の広場でタクシーに乗り込む。行き先はガイヤール城だ。 タクシーの運転手は「帰りはどうするんだ ? 」と尋ねる。「帰りのことは何も考えてない。とりあえず今は片道で良いよ。ともかくガイヤール城まで行ってよ。」と答える私。が、しつこく帰りについて尋ねる運転手。くどいぞ。片道でエエって言うてるやんか。 でも、このタクシーの運転手は善意で言っていたんだ、と後で気づいたときには手遅れだった。今日の最初の目的地であるガイヤール城を歩き終えた後で気づいたんだけどね。私はフランス語を話せず、タクシーの運転手さんも英語が苦手 ・・・ というわけで意思の疎通がうまくいっていなかったからね。仕方ないかな。(その話は後のページで詳しく書くつもり。)
ノルマンディーの要衝ガイヤール城に到着そのタクシーの運転手が私を降ろしたのが、丘の上の駐車場。なんやねん。片道でエエと言ったから、意地悪してこんなところに降ろしやがって ・・・ と私。口には出さなかったけど ・・・。
でも、それは私の思い違いだったみたい。その駐車場の端っこに立てば、イングランド王リチャード獅子心王が築いたガイヤール城の雄姿(上の画像)を堪能することが出来たんだ。なるほど、あのタクシーの運転手さん、ガイヤール城を眺めるのに最適の場所に降ろしてくれたんだな。いいやつだったんだ。
ノルマンディー防衛の要衝ガイヤール城イングランド王リチャード獅子心王がセーヌ川とレザンドリの街を見下ろす高さ 90メートルの崖の上にガイヤール城を築き始めたのは西暦1196年のことだった。
このガイヤール城の北西 40kmにはルーアンの街があった。他方で、ガイヤール城から南東に 95kmにはフランス王の本拠パリがあった。リチャード獅子心王は、父のイングランド王ヘンリー2世から受け継いだノルマンディー公国の首都ルーアンを、フランス王フィリップ2世(オーギュストあるいは尊厳王)から守るために、このガイヤール城を築いたんだそうな。
イングランド王リチャード獅子心王とガイヤール城リチャード獅子心王はガイヤール城に並々ではない情熱を傾けていた。巨額の費用をかけ、自ら設計し、しかも頻繁に現場に足を運び、工事関係者を督励したらしい。その結果、築城は例外的に早く進み、西暦1198年に完成したんだそうな。
リチャード獅子心王はイングランドの王でありながら、その首都であるロンドンで過ごすことは殆ど無かった。対して、このガイヤール城は彼の気に入りの場所になったらしい。でも、リチャード獅子心王がガイヤール城で過ごした歳月は短かった。戦いの際の矢傷により、リチャード獅子心王は西暦1199年に亡くなってしまったんだ。
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