東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
パリに住んだ...つもりの 9 日間
パリ + ロワール・ノルマンディ・シャルトル
(フランス)
2000年9月
サン・ドニ聖堂にあるフランス王家の墓
6. アンリ4世 (ブルボン家)
フランス王権の絶頂期と言えば、太陽王ルイ14世の時代かな。そのルイ14世を生んだブルボン家をフランスの王家にした人物と言えば、16世紀の宗教戦争に勝ち抜いたアンリ4世だよね。
そのアンリ4世なんだけど、フランスとスペインに挟まれた小国ナヴァールの王子として生まれたから、生まれは悪くない。父のアントワーヌ・ド・ブルボンは、シャルトル大聖堂やパリのサント・シャペルを建設した聖王ルイ9世の子孫だ。
他方、母のジャンヌ・ダルブレはナヴァール王アンリ・ダルブレとフランス王フランソワ1世の姉の娘だから、こちらも血統は素晴らしいよね。
しかし、彼はなるべくしてフランス王になったとも言えないんだ。というのも、フランス王アンリ2世の王妃カトリーヌ・ド・メディチは4人も王子を産んでいたから。それだけいれば、アンリ4世の順番が来るなんて誰も思わないじゃない。
ところが、その4人の王子たちは、次々と若死にしちゃった。その結果、フランス王家ヴァロワ・アングレーム家の遠縁に過ぎなかったアンリ・ド・ブルボンに御鉢が回ってきたというわけだ。
右の画像は、パリ郊外のサン・ドニ聖堂の地下にあるアンリ4世の墓碑。
もうちょっと渋い二枚目かと想像していたんだけど、意外に愛嬌があるというか、憎めないタイプの顔かなあ。
でも、生きている間は、プレイボーイとして有名だったらしいよ。
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