東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「ニース・エズ・モナコ公国とロンドン」

09. イタリア統一の英雄ガリバルディの故郷ニース

ニースで生まれ育ったイタリア統一の英雄ガリバルディ

フランス南部ニースの旧市街の路地の奥にサン・マルタン・サン・オーガスタン教会(下の画像)がある。

フランス南部ニースの旧市街の奥にあるサン・マルタン・サン・オーガスタン教会の外観

西暦1807年、このニースの旧市街にある小さな教会で生まれたばかりの男の子が洗礼を受けた。それが後の統一イタリア王国成立の英雄となるジュゼッペ・ガリバルディだった。

ニースとサヴォワ公家・サルディニア王家・イタリア・フランス

中世のニースはフランス王家とサヴォワ公家とが争奪戦を繰り返す場所だった。フランス王ルイ14世太陽王 は、アウクスブルク同盟戦争でもスペイン継承戦争でもニースを占領している。でも、戦争終結後にはニースはサヴォワ公家に返還されたんだ。

やがて西暦1720年にはサヴォワ公家はサルディニア王家となった。しばしの間、ニースはそんなサルディニア王家の支配下にあったんだ。(下の画像はガリバルディが洗礼を受けたニースのサン・マルタン・サン・オーガスタン教会の内部。)

フランス南部ニースの旧市街の奥にあるサン・マルタン・サン・オーガスタン教会の内部

ところが、西暦1789年にフランス革命が起こった。そして西暦1792年にはフランスの革命軍がニースを占領してしまった。やがてフランス皇帝ナポレオンが即位したんだけど、後のイタリア統一の英雄ガリバルディはそんなフランス統治下のニースに生まれたんだ。そして西暦1814年、皇帝ナポレオンが退位し、ニースはサルディニア王家の下に戻っている。

ニース旧市街の路地

そんなガリバルディゆかりのサン・マルタン・サン・オーガスタン教会を出て、ニース旧市街の路地を歩く。

フランス南部ニースにあるガリバルディ広場の奥の狭くて曲がりくねった路地

子供の頃のジュゼッペ・ガリバルディも、上の画像に見えるニース旧市街の狭くて曲がりくねった路地を走り回ったんだろうね。

ニースの広場に立つガリバルディの像

ニース旧市街の路地を抜けて、やって来たのは下の画像に見えるガリバルディ広場。もちろん、広場の中央に立っているのはニースが生んだ英雄ガリバルディだね。

フランス南部ニースにあるガリバルディ広場に立つガリバルディの像

でも、そんなガリバルディの像を見ている人もいなくて、ましてやカメラを向けていたのは私くらいのものだったよ。ニースで生まれたイタリア統一の英雄ガリバルディだけど、その故郷ニースは西暦1860年にフランスに割譲されちゃったからね。ガリバルディは怒ったらしいけど、それがイタリア統一の為の必要なコストだと王や政治家たちは考えたわけだよね。

ちなみに、西暦1860年にニースと一緒にサルディニア王国からフランスの保護下に移されたのがモナコ公国だった。でも、当時のモナコ公国の領土でサルディニア王国に割譲されることを望んだ地域をフランス側に譲り、その見返りとして西暦1861年にフランスはモナコ公国の主権を承認したんだそうな。(紆余曲折はあったもののモナコ公国はその後も独立を保っている。今のモナコ大公アルベール2世は、かつてのハリウッド女優グレース・ケリーの息子さんだね。)


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