大英博物館で見た皇帝アウグスティヌス像ロンドンの大英博物館には古代ローマ帝国にゆかりの展示も多いんだけど、その中でも最初に登場願うのはイギリス(ブリタニア)にも遠征したカエサル(シーザー)の養子にして古代ローマ帝国の初代皇帝アウグスティヌス(オクタヴィアヌス)の像(下の画像)だね。
興味深いのは、この古代ローマ帝国皇帝の像が発掘されたのがスーダンだったということかもしれない。元々はアウグストゥスがクレオパトラとアントニウスを破ったエジプトにあったらしいんだけど、スーダンの部族がエジプトに攻め込んだ際に略奪して持ち帰り、その部族の神殿に献上されたと推測されている。
ついでながら、皇帝アウグスティヌスの横顔を描いたコインは、イタリア南部サレルノの近くにある世界遺産パエストゥムの脇のパエストゥム国立考古学博物館で見ることが出来る。元々はパエストゥム(ポセイドニア)は古代ギリシャ人によって築かれたんだけど、やがて古代ローマの支配下に入ったこともあり、古代ローマ帝国のコインが出土したということかな。
大英博物館で見た皇帝ハドリアヌスと皇帝クラウディウス続いては、古代ローマ帝国の皇帝の中でもイギリスととっても縁の深いハドリアヌス帝の像だね。今のイングランドとスコットランドとの国境近くにあるハドリアヌスの長城(城壁)を築いたのが、この古代ローマ帝国皇帝ハドリアヌスだった。
ついでといっちゃ不敬罪に問われそうだけど、上の画像の左下の部分に小さく見えている横顔は、同じく古代ローマ帝国の皇帝クラウディウスなんだ。このクラウディウスは、古代ローマ帝国がガリアに築いたリヨン(ルグドゥヌム)に生まれている。やがて皇帝となった彼は、イギリス(ブリタニア)にロンドン(ロンディニウム)を建設している。
ところで、イタリアの首都ローマのサン・ピエトロ大聖堂の近くにサンタンジェロ城があるよね。そのサンタンジェロ城なんだけど、元々は皇帝ハドリアヌスのお墓として築かれたものだった。その後、ローマ教皇が逃げ込む城になったけど。
大英博物館で見た皇帝セプティミウス・セウェルス次の古代ローマ帝国皇帝もイギリスに縁の深い人物なんだ。下の画像に見えるのは、皇帝セプティミウス・セウェルスの像。
西暦208年、古代ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスは自ら遠征軍を率いてブリタニア(イギリス)にやって来た。ハドリアヌスの長城を修復させ、今のスコットランドのピクト人と戦っている。その後、古代ローマ帝国の城砦都市エボラクム(今の今のイギリスの街ヨーク)で亡くなった。
ところで、ローマのフォロ・ロマーノの中心にあるカピトリーノの丘には、このセウェルスの凱旋門が残されている。パリのテュイルリー庭園とルーブル美術館の間にあるカルーゼル凱旋門のモデルとなったのが、そのセウェルスの凱旋門だったそうな。
大英博物館で見た皇帝カラカラ古代ローマ帝国皇帝セプティミウス・セウェルスがエボラクム(ヨーク)で亡くなった後、帝国の支配者となったのは息子のカラカラ帝とゲタ帝だった。下の画像は大英博物館にあるカラカラ帝の像なんだ。
父が亡くなってイギリスからイタリアのローマに戻った二人の皇帝は、次第に対立を深めていった。そして兄であるカラカラ帝が弟のゲタ帝を殺害している。ローマに名高いカラカラ浴場を残した皇帝カラカラではあるけれども、皇帝ネロと並ぶ暴君と言われる。そして部下の兵士に背中から殺害されたらしい。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|