シェイクスピアのマクベスゆかりのコーダー城続いては下の画像にあるコーダー城にやって来た。インヴァネスからは 15 マイル( 24 km )というところかな。![]()
一説によれば、このインヴァネス近くのコーダー城は、シェイクスピアの「マクベス」においてスコットランド王ダンカン1世が殺害された城のモデルになったとかならないとか。 実在のスコットランド王ダンカン1世とマクベスちなみに、スコットランド王ダンカン1世もマクベスも実在の人物ではあるらしい。但し、ダンカン1世は無謀な軍事行動によってスコットランド内部の争いを引き起こした人物であり、決して敬愛された王ではなかったみたい。他方で、西暦1040年に戦いにおいてダンカン1世を殺したマクベスは、スコットランド王となって安定した政治を行ったとか。西暦1050年にはスコットランド王マクベスはイタリアのローマに巡礼に行ったという話もある。国内が不安定ではこんなことはできないだろうね。 ![]()
しかし、そのマクベスはダンカン1世の息子によって西暦1057年に惨殺され、今度はそのダンカン1世の息子がスコットランド王マルカム3世となったらしい。どうも実話の方はシェイクスピアの話とは逆のような印象を与えるよね。ちなみに、このコーダー城(上の画像にある花壇が美しい)が築かれたのは、ダンカン1世やマクベスの時代から300年後のことだとか。 インヴァネス城インヴァネス市内に戻り、レストランで昼食を食べて、次はインヴァネス城(下の画像)を見て歩く。![]()
が、インヴァネス城の前のベンチに腰を降ろした私の表情はうつろだ。徹夜で車を運転してきて、それで昼食時にビールを飲んだのがいけなかった。ビールはまずいと考えればわかりそうなもんだけど、そもそも考える力さえ無くしていた。
インヴァネス城の前に立つフローラ・マクドナルド像![]() 前のページにも書いたけど、西暦1746年のカロデンの戦いでジャコバイト軍とボニー・プリンス・チャーリーはイギリス政府軍に敗れた。 その敗軍の将にしてイギリス王位を狙ってきたスチュワート家の御曹司ボニー・プリンス・チャーリーを政府の手から逃したのが、このフローラ・マクドナルドだった。 後に釈放されてはいるけど、フローラ・マクドナルドはテムズ川のほとりのロンドン塔に幽閉されてもいる。そんな女性の像をインヴァネス城(今は裁判所)の前に立てておくということでも、スコットランドの人々のイギリスあるいはイングランドに対する微妙な心情がうかがえるような気もするよね。 しかし、・・・ 私は既に体力の限界を越えていた。このあとホテルに向かったんだ。ホテルの部屋に案内されるや否や、ベッドに倒れこみ、そのまま翌朝まで眠り続けたよ。
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